子どもの幸せって、子どもが決めていいんじゃないの?

今日はですね、楽しい楽しい、ちび谷戸の日だったので、その話を書こうと思っていたのですよ。

 

でも、朝聞いた悲しい話が頭に残っていて、楽しい事が、まだ書けない。

なので、そのことを吐き出します。

 

現場の先生方にもきっといろいろあるんでしょうけれども、あえてそこは見ないで、悲しい子どもの気持ちを思い切り伝えたいと思います。

 

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お泊り保育って、たぶん、どこの園でもある行事だと思うのですが、初めてお母さんから離れて園のお友達や先生とお泊りするという、わくわくドキドキの行事ですよね。

 

楽しみなんだけど、大丈夫だろうか、お母さんが居なくて、やっていけるんだろうか、という不安と闘いながら、葛藤を乗り越えて一つお兄ちゃん、お姉ちゃんになるという、みんな通ってきた道です。

 

とっても楽しみにしている、そのお泊り保育を、園から「来ないで下さい」と言われちゃった子がいるのだそうです。

 

 

その子は、うっすらと発達障害があって、おそらく、日中の保育も他の子よりは手がかかるんだろうな、とは思うんです。

でも、その子がお泊り保育を楽しみにしているってことは、友達との関係や、先生との関係は楽しいものなんだろうなとも想像できる。

 

なのに、来ないでくださいって、どういう事だよ、と思うわけです。

 

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私が知ってる園は、どこも、「新しく仲間になった子どもを、どうやって受け入れるか」ということに心を砕いてくれる園ばかりです。

障害があろうが、持病があろうが、仲間だよね、と。

だから、みんなでする行事を、あの子はこなくていい、という事は絶対にしないです。

 

これ、先生のスキルや心の問題だけなんでしょうか。

 

私の知ってる先生たちが、あったかくて立派で力量のある人たちだったってことなんでしょうか。

受け入れられない先生たちが、狭量で冷酷で力が無いからできないのでしょうか。

 

違うと思うんです。

 

そうじゃなくて、もっと、大きく違うところがあると思うんです。

 

その差は何か、と考えてみると、一緒に過ごした経験の有無じゃないかと。

 

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昔は、障害の重い子たちには「就学免除」「就学猶予」という制度がありました。

 

「免除」とか「猶予」というと、なんだか、「無理してこなくていいよ」という労りのような感じですけど、実際はそうじゃありません。

 

義務教育というのは、「親が子どもに教育を受けさせる義務」を負う教育のことですから、この場合「免除」や「猶予」されるのは、親の義務なんです。

 

「この子は、みんなと一緒に学校で勉強させるのは無理だから、親のあなたの「教育の義務」は免除または猶予してあげます。おうちで見てください。」という事だったんですね。

 

で、その義務が猶予されていた時代が長く続いて、次に来るのが養護学校の義務化(1979年)でしょうか。

(とってもざっくりとしたお話ですみません。詳しく知りたい人は自分で調べてくださいね。間違ってるかも。)

 

学校に行けなかった重度の肢体不自由児や、重複障害の子どもたちが、就学免除・猶予制度の廃止によって、養護学校(今は、名前が変わって「特別支援学校」)に行けるようになりました。

 

でも、その時にね、

「せっかく養護学校があるのに、なんで、どう見ても学校の勉強についてこられてない子たちが、普通の学校に来てるのよ?」

っていうんで、この時期、近隣に養護学校があった地域の小学校から、障害児の姿が消えていくんです。

 

昔は、器が無くて、仕方なく(形だけは)インクルーシブ教育だったものが、養護学校という器が整備されて、障害のある子たちは、そっちにやられてしまったわけですね。

 

つまり、1979年以降に小学校に入学した人たちは、兄弟や親せきに障害のある子がいない限り、身近に障害のある子と接する機会が全くなかったんじゃないかと思うんです。

 

そして、幼稚園、保育園という、世代交代が激しい職場で、生まれてから一度も障害のある子たちと接した経験も知恵も持たない若い先生たちが増えていった結果、

 

「障害のある子は、健常児とはいっしょにしない」という、無意識の常識が、お泊り保育拒否を言いだしているんじゃないかと思ったんです。

 

だって、その人たちが育ってきた世界では、「わける」ことが当たり前だったんだから。

 

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「わける」というのは、良い事でもあったのでしょう。

養護学校が整備されて、それまで教室で持て余されていた子たちが、その子に合った教育を受けられるようになったことは、本人にも親御さんにも嬉しい事だったと思います。

 

でも、おそらく一生、生まれた地域で生きていくことになる障害のある人たちにとって、地域と切り離された学校生活は、果たしてメリットはあったんだろうか、と思うんです。

 

そして、周りの人たちには?

 

「みんなちがって、みんないい」というフレーズを、ありがたがって、そうだそうだ、ともてはやす割に、その「違い」を、どこまで認めてますか?

 

ここまでなら許せるという無意識の線引きをみんながしてはいませんか?

 

個性の範疇なら「違ってもいい」と思えても、そこを逸脱するスーパー個性については、「変だ、おかしい」と

レッテルを貼って、のけ者にしてはいませんか?

 

そして、「変だ、おかしい」と思う自分の差別する心を正当化するために、「障害のある人は、その人たちにあった教育を受けるべきだ、それが幸せだ」って決めつけているんじゃ・・・?

 

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「幸せは、自分で決めるもの」というのは、あまりに使い古されて手あかのついたワードですが、でも、それは真実なんです。

 

「障害があるから、支援学校に行きなさい、それが幸せだよ」と誰かに決められるのではなく、自分で選びたい。

 

「障害があるから、お泊り保育は来ちゃダメです」と言うのではなく、本人が望む限り、どうしたら一緒に行けるのかを考えてほしい。

 

それに寄り添って生きるのが、教育者、保育者という広い意味での支援者ではないの?

 

そして、そんな本人たちの意思を、気持ちを無視して

「こっちのほうが、幸せだよ」と、

自分の差別する心を制度という覆いにかくした上で、

安心して分けようとる私たちも、

十分にひどい人たちなんだと思います。

 

まずは、聞こうよ。どうしたいのか。

本人の気持ちの確認なしに、本人のことを決めていいわけがない。

 

そう思いませんか?

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