人権を考えてみるシリーズ②遊びを条件付きでしか肯定できないことについて

たけとんぼの運営を始める前、何年もプレイパーク活動に関わっていました。

 

とってもとっても豊かで楽しい、夢のような子供時代を送らせてもらった「めだか子供の家」を卒園して、小学校に入学したわが息子くりさん、

 

なかなか学校になじめずいたので、何かしら居場所を作ってあげたいなと思って行きついたのが、プレイパーク作りの活動でした。

 

その活動が結実して、今は常設の「銀河の森プレイパーク」となりましたが、昔は毎月一回の出前活動でしたので、「居場所」になるほどしょっちゅう入り浸ることはできませんでした。

 

でも、そこで出会った友達は、くりの小学校時代を支えてもらったなあと思えるくらい、楽しく通じ合える仲間だったようです。

 

休みの日は、よく連れ立ってほかのプレイパークに遊びに行ったり、夏の川遊びを楽しんだり、お互いのおうちを行き来して遊んだりしていました。

 

好きにやっていい場所、やりたいことを、誰かに指図されたり、邪魔されたりしないで思い切りやれる場所。

プレイパークはそんなところだったので、学校でのいろんな不満を発散できる場所でもありました。

 

毎朝「ああ、学校行きたくないなあ」と重い足取りで出かけていくくりが、ここでは、楽しそうに遊ぶ姿を見ることができる、というそのことだけで楽しかったです。

 

 

さて、そんな楽しいプレイパーク、これを独り占めするのはもったいない、みんなに来てほしいなと思っていたので、いろんな人に届け!と広報してました。

 

そして、実際にいろんな人が来たのですが、

 

同じように「プレイパークを子どもに!」と思ってやってくる親御さんたちなのに、中にはどうしても苦手な人たちというのがいました。

 

そういう方々には、いくつか共通点があって

 

①プレイパークで子どもを「遊ばせる」という表現をよくされる

②幼児期からのさまざまな習い事に熱心

③「こういう遊びって●●にいいんでしょ?」と話しているのをよく聞く

④「せっかく来たんだからやってみなよ」と子どもが乗り気でない遊びを無理にすすめる

 

という特徴がありました。

 

私は、もうプレイパークの活動を離れて長いですし、

現場のだれもが同じことを思っていたわけではないと思うので、

プレイパークに関わる人たちが、みんな私のように思うわけではない、という前提で読んでほしいのですが、

 

私は、本当にこういう方々が嫌で嫌で仕方ありませんでした。

 

習い事の一つみたいな感覚でやってこられても、ここは、それとは全然違うところなのになあ、と思っていました。

そして、自分が大事にしたい事や、そういう場を汚されているような気もしていました。

 

今は「何を求めてやってこようが、その人の自由だし、いてもいいじゃん」と思っていますが、

当時は「子どもが楽しいかどうかは二の次で、自分がやらせたい事だけをやらせたいんだな、この人たちは。あーやだやだ、来るな」と思ってました。

 

まあ、なんて上から。(^^;

自分ちでもないところに、来るなとは大きく出たもんだ。

傲慢ですね。

 

今でも、苦手は苦手で、さすがに「来るな」とは思いませんが、できるだけ関わらないように逃げています。

 

 

 

 

プレイパークを離れてからも、ずーっと、この苦手の正体がどこらへんにあるのかなあと考えていました。

 

何で、私はこういう人たちがこんなにも苦手なんだろうか、と。

 

そしたら、ツイッターでタイムリーなお言葉が流れてきました。

 

”愛情を注いでくれるはずの人から受けたものがコントロールだった人は、それを愛情だと思い込む。

そして依存、操り、あれこれと要求されることを愛情だと勘違いしてしまう。

どれも愛ではない。

愛とは、人にその人らしくあってほしいと願うことだ。”(出典 「共依存症心のレッスン」)

 

納得しました、これかあ!って。

 

「子どもに良いとされる習い事は全部やらせてます。プレイパークでの遊びも、脳や運動神経の発達にすっごくいいと聞いて、ぜひやらせたいと思ってきました。」

 

これ、愛情でしょうか??

 

 

偶然、子どもの気持ちが親の意向と一致して、うまく回れば、良い結果を生むこともあるんでしょうけども。。。。

 

「愛とはその人らしくあってほしいと願う事だ」って、つまりは、「その人の人権を保障すること」が愛の正体なんじゃないかと思うんです。

 

やりたい気持ちに添う、やりたくない気持ちに添う、両方あってこその人権の尊重ではないかと。

 

 

私は、自分の育ちがそんなに愛に満ちてはいなかったなあと思うので、よけいに、このあたりに敏感です。

 

見てると、どうしても子どもに感情移入してしまいます。

 

怖いって泣いてるのに、何で、今ターザンロープを飛ばなくちゃいけないの?

 

汚れるのが嫌だって泥遊びを拒否してしがみついている子を、そんなにため息まじりに眺めなくたっていいじゃない?

 

「せっかくプレイパークに来てまで、ゲームなんかしないでよ」って思うなら、最初から持たせなきゃいいじゃない?

 

いちいちいろいろ感じて疲れます。

 

***

 

遊びは、遊びです。

 

楽しそうならいいじゃん、と思います。それだけじゃだめなのかな?

 

何か得るものが無いと、「遊ばせてやれない」もんでしょうか?

 

***

 

私は感覚統合の話をしています。

 

子どもの遊びには、こんな意味があるよ、って伝えます。

 

「だから遊ばせにおいで」って言ってるわけじゃなくて、

 

本来なら、自由に遊ぶ中で、子どもたちが勝手に身に着けていくことができたいろんなもの(機能)を、

 

剥奪されてしまっている今に怒りを感じているのです。

 

遊びにメリットを求めてくるような、そんな大人を呼び寄せたいわけじゃあないのです。

 

この違い、分かってもらえる人とだけ、仲よくしたい、わがままな私です。

 

 

 

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相模原市内にある常設のプレイパーク。

日曜、月曜、水曜が開園日です。

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銀河の森プレイパークで活動する、ママと小っちゃい子のための青空外遊びの会「もりのこ」。就学前のお子さんであれば、どなたでもご参加いただけますよ。

発達障害を持つ中学生の親御さん対象のおしゃべり会です。
どんな人たちが、どんな気持ちで運営しているのか読んでみてください。

ご存じ、音楽療育家の西堀美和ちゃんが小田急相模原で開設しているゆっくりさんたちのための教室です。NPO法人てとて。

感覚統合について学びたい方へ向けた、出張講座を承っております。こどもに関わるお仕事をされている方、育児サークル、何でも五名以上で伺いますよ。