人権を考えてみるシリーズ①「ありがとう」と「ごめんなさい」

最近の私の「世界を理解するためのキーワード」は「人権」なので、思い出したように時々「人権」について考えることをやってみたいと思います。

 

以下の文章は2014年に私がフェイスブックに上げた文章です。

 

全編、子どもの私目線で書かれているので、なんか悲しい話になってしまってますが(^^;

 

伝えたいポイントは、最後の方の「ありがとう」と「ごめんなさい」の部分です。

ちょっとそこを念頭に置いて、以下読んでみてください。

・・・・

 

うちの両親は共働きだったので、私は小学校一年生になった時から鍵っ子で、学校から帰ると誰もいない家の鍵を自分で開けて入り、勝手に冷蔵庫にあるもの(例えばちくわとか、ハムとか)をオヤツに食べ、友達と遊んだり本を読んだりして過ごしていた。

 

少し大きくなると、母は私に

「なんであんたは女の子のくせに家の手伝いをしないのか、私が外で毎日働いていることは見ればわかるだろう。家事を手伝いなさい」

と言った。

 

でも、それまでに私は家事というものを教わったことがない。

何か手伝おうと手を出すと、

「じゃま!」または

「子どもの仕事は勉強!」

と言われて追いやられていたので、基本、母から教わったことというのが何もない。

 

それでも、健気な小3の子どもだった私は、見よう見まねで部屋の掃除を初めてした。

重たい綿のコタツ布団を自分の頭より高い布団干しに持ち上げてかけて、パンパンたたき、コタツを寄せて、掃除機をかけて、もとどおりに組み立てた。

 

自分では、完璧だ!と思った。

よくやった!と思った。

なので、褒めて欲しくて、帰ってきた母に「すごいでしょ」とまとわりついた。

 

母は、うるさそうに

「そんなの、やって当たり前でしょ?当たり前のことで、そんなに褒めて褒めてとうるさく言わないでよ」

と言っただけだった。

 

私は、それまでも、不仲な両親を取り持つべく(たいていの子どもは、自分のせいで親がケンカしているのだと、自分を責めて大きくなる)学校の勉強だけは、ほんとにパーフェクトにやってたし、弟の面倒もよく見ていたと思う。

 

でも、今になって思うと、それは、褒めて欲しかったというより、そこにいていいんだと認めて欲しかったんだなーと思う。

 

家の中が両親のケンカで重苦しくなるたびに、そこにいてはいけないと無言の圧力で言われているような気がして、いたたまれなかったから。

「ありがとう(あなたがいてくれて、とても助かるよ、嬉しいよ)」の一言が欲しかっただけなんだよなー、と思う。

 

・・・

 

 

時が流れて2014年。

くりさんの家庭科の期末テストは、範囲が乳幼児の育ちということで、ちびっこの発達や、どんな栄養が必要か、とか、どんなおもちゃを与えるのがよいのか、なんてことがテストに出たらしい。

 

その中に

「もしもあなたが子どもを育てることになったら、どんなことに気をつけて子どもを育てたいですか?」

という出題があったんだそうです。

 

何を書いても、ほぼ正解のサービス問題だよね。

 

くりの回答。

「どんなに小さくても、いいことをしてくれたら、ありがとうを言い、自分が悪かったと思ったら、ごめんと言う」

 

 

・・・・

 

 

なんかねー、その話を聞いた時、私は解放された気がした。

長年の呪縛のようなものから。

 

私、よくやってきたなーと自分を褒めていいと思った。

これが伝わったなら、もうオッケーじゃん?と。

 

小さかった私は、まん丸ではなかった。

欠けたところ、えぐれたところが目立つ、悲しいギザギザの形だった。

 

そこから、自分で自分を作ってきた、と思う。

ちゃんと丸く整えて、子どもをトゲトゲ傷つけないようになれたと思う。

 

ここまでできたのなら。

時間はかかっても、まだ、なりたい自分を作っていくことはできるんだろう。

だから、できてないこと、ダメなことで、自分を責めるのはやめようと思った。

 

・・・・

 

さて。私は、いま人権の話をしたいと思ってます。

 

「人権」ってなんだと思いますか?

 

「人権を守る」「人権を保障する」って、どういうことだと思いますか?

 

ユニセフの子どもの権利条約のサイトを見ると、子どもの権利条約を大まかに四つにまとめています。

生きる権利

子どもたちは健康に生まれ、安全な水や十分な栄養を得て、健やかに成長する権利を持っています。

守られる権利

子どもたちは、あらゆる種類の差別や虐待、搾取から守られなければなりません。
紛争下の子ども、障害をもつ子ども、少数民族の子どもなどは特別に守られる権利を持っています。

育つ権利

子どもたちは教育を受ける権利を持っています。また、休んだり遊んだりすること、様々な情報を得、自分の考えや信じることが守られることも、自分らしく成長するためにとても重要です。

参加する権利

 

子どもたちは、自分に関係のある事柄について自由に意見を表したり、集まってグループを作ったり、活動することができます。そのときには、家族や地域社会の一員としてルールを守って行動する義務があります。

 

 

これを、私になりに、もっと簡単にまとめると、

 

「こどもは、命が健康に大きくなるように守ってもらえなくちゃいけないし、

いろんなことを自分で決めて、いやなことはいや、やりたいことはやりたいと主張できるように守ってもらえなくちゃいけない」

 

ってことだと思います。

 

世の中には、戦争だとか災害だとかいじめだとか、子どもの「命が守られない」事態がたくさんあって、どうしてもそっちに目がひきつけられてしまうけれど、

 

日常的に親がやってしまう、こどもの人権侵害は、みんな気付かないで放置してしまう。

 

子どもだって、自分のことは自分で決めたいのに、親のすることだから、どんな押しつけも「良かれと思って」がまかり通ってしまう。

 

そうして、「やりたい気持ち」をどんどんねじ伏せた結果、「やりたいことが主張できなくなってしまった」子どもに向かって

 

「あんたやりたいこともないの?ダメねえ」

 

って言っちゃうんだよなあ。

 

 

私が、昔フェイスブックに書いたこの文章を引っ張ってきたのは、

 

「どんなに小さくても、いいことをしてくれたら、ありがとうを言い、自分が悪かったと思ったら、ごめんと言う」

 

って言葉を載せたかったからなんです。

 

他人を他人として尊重する。それが「ありがとう」と「ごめんなさい」かなって。

 

自分の友人に対してしないような対応を、自分の子どもだと平気でしちゃう。

 

そこを見直そうよ、ってことなんです。

 

もちろんね。

 

母ちゃんだって、好きで子どもの人権を侵害しているわけじゃない。

 

日々の疲れやストレスがたまって、子どもの気持ちを慮る余裕がなくなるときにやっちまうんだってことはわかってる。

 

みんな余裕が無いんだよね、父ちゃんも、母ちゃんも。

 

でもね、「母ちゃんも父ちゃんも余裕持って暮らせるように社会を変えていこうぜ!」ってのは、すぐには無理なんですね、残念ながら。

 

だったら。

 

やっぱり変えられるのは自分だけなのだから、せめて自分くらいは、時々「やっちゃってないかな?」ってチェックする目を持ってた方がいいと思うんです。

 

時々思い出してほしいんですね。

 

認めてほしかった私の気持ちを。

 

・・・・・・・・・・

 

人権の話、まだまだ続きます。

 

今日は、「わが子も他人と思って気持ちを尊重するところから始めてみない?」ってお話でした。

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