2016年

1月

16日

「話し合って」>「決める」

今日もまた、知ってる人は、きっと知ってる話をします。^_^

私だけが知らなかったのかもしれない話です。

いやー、もういい歳したおばちゃんなのに、なんでこう、物知らずなのかと、よく思います。f^_^;)


数日前に、フェイスブックのタイムラインに二つの記事が流れてきました。

一つはこれ。公園での子ども同士のおもちゃの貸し借りについて、NHKの「すくすく子育て」に出演された井桁容子先生が、語られたという内容を起こした記事。

 

これを読んだのは、朝、出かける前で、これは歓迎すべきことよね、と思いつつも、なんだか割り切れない気持ちでした。

 

もう一つはこれ。ほぼ日刊イトイ新聞で連載している、糸井さんと養老猛先生の対談

 

全く関係なさそうな話なのに、谷戸保育の振り返りで、ちょっと違和感を感じて帰ってきたときに

 

この記事を見つけた私は、ああ、これかあ、私に足りないのってここだったんだなと思ったのです。

 

今日はその話を。

 

題して「話し合って」>「決める」。

 

今日も長いです、ごめんなさい。

 

***

 

まず、最初の記事を見ていきたいのですが。

 

以下抜粋して引用しています。(ちゃんと読みたい人は、リンク先を参照してくださいね)

 

「おもちゃは子どもにとって大事なものです。その大事なおもちゃを「貸して」と言われて、「いいよ」と言えるはずがありません。「貸して」と言われたときに、子ども自身が納得していなければ、「いいよ」と言えなくていいのです。「これは大事なものだから貸せない」と自分の気持ちを言える方が、いいですね。」

 

さらに井桁さんは、ママが「いいよ」と言わせてしまうと子供は「貸したくない」という本当の気持ちを押し込めることになり、将来、自分の気持ちを表現できなくなってしまう可能性もあると指摘しました。

 

***

 

井桁さんいわく、3歳までは子供本人の気持ちが守られることが大切なのだそう。まずこれができていないと、他人の気持ちがわかるようにはならないのだとか。

 

***

 

よかれと思ってやっていた親の介入が、実は子供の「自分の気持ちを言う力」を奪う恐れがあったことが発覚した今回の放送。

 

ママやパパは「他人を思いやれる子に育てたい」という気持ちや「相手の親に『どんな教育してるんだ?』」と思われたくないという気持ちから、理想的な「貸して」「いいよ」のやりとりを促してしまいがち。

 

しかし今回の放送で、子供には子供の成長ペースがあるということを、改めて実感した人は多かったようです。

 

いい放送だったようで、反響も大きかったようです。

 

内容には、私も全面的に賛成で

 

「親が介入して、子どもの体験を奪う事の弊害について、よくぞ言ってくださった!」

 

と拍手したいくらいでした。

 

そして、これを見たお母さんたちは、きっとこれから公園で過ごしやすくなるだろうなー、

 

今までは「貸さない子を育ててる自分が悪」だったのに、

 

これからは「貸せない意思表示をできる子を育ててる自分が正義」でいられるんだもんなー、

 

と、意地悪く思いました。

 

そう、私は、井桁先生のおっしゃることには大賛成なのですが、

 

この番組を見て、「あらたな公園ルールが確立しただけなのではないか」と、そこをものすごく危惧したのです。

 

***

 

こどもの気持ちを尊重するようにしようよ、というのは、とても素敵な提案です。

 

ずーっと、これがスタンダードになったらいいなあと思ってました。

 

母ちゃん同士の「気兼ねの餌食」に子どもがなってるような現状は、気持ち悪くていやだなと思っていました。

 

だから、「貸せなくてもいい」という考え方が浸透するのは、子どもにとってうれしいことだろうな、と思ったのです。

 

でも、結果として「みんなが絶対視するルール」が「貸せる子が〇」から「貸せない子の方がむしろ〇」と変わっただけでは、

 

「いじめてた子たちがある日突然いじめられることになりました」くらいの転換でしかなく、いちばん大事なところが、変わってない気がしました。

 

じゃあ、一番大事なことってなんだろうか。


      

 

***

 

そのお話をする前に。

 

谷戸保育であったことをちょっとお話しさせてください。

 

ご存じない方はご存じないと思うので、先にちょこっと説明しますが、

 

私は、たけとんぼで、木曜日に未就園のちびさんたちを預かって谷戸で遊ぶという、野外保育をやってます。

 

(谷戸保育「のびる」と呼んでます。)

 

まだ、二年に満たない活動なので、決まったルーチンはなく、いつも天気や気候に合わせて、その日やりたいことをやってます。

 

でも一つだけ決めてることがあって、それは「こどものやりたいことを制限しない」という事なのです。

 

もともと、母ちゃんと子どもが一緒にいると、どうも母ちゃんが子どもを制限することが多くて

 

子どもがのってきた時に水かけられるようで、つまんなそうだなー、

 

いっそ離れてもらえば、子どもはもっと楽に遊べるんじゃないの?と思って始めた活動だったので、

 

「やりたいことを制限しない」というのは、もう、始まりの時から、絶対守るものとして自分の中にあるわけなんですね。

 

が、どうもそこが怪しくなってきた。 

 

気が付くと「大人が一緒にいくまで待ってて」とか「危ないから、棒で戦わないでよー」とか言ってる。

 

なんでもやらせてあげたい、と思う自分がいるのに。

 

今週なんて、

 

お昼ご飯のおうどんを食べてる時に「だれが脚立の上で食べるか」問題で、男どうしの争いが勃発しそうだったので

 

「最初にここで食べるって決めた人のもの!その人がどかない限り、ほかの子はここで食べられません!」

 

と一方的に決めてしまいました。

 

汁の入ったお椀とお箸を持って、近くでケンカされるのが嫌で、ご飯くらい静かに食べようよと、つい言ってしまったのだけど、

 

言ったあとで「あれ?今、わたし思い切り制限したよな?」と思いました。

 

 

それで、その日は、終わったあとの振り返りの時に


「一番大事な基本理念を簡単に覆した自分を、誰か叱ってくれないかな。」と思う気持ちと


「いや、でもルール無用の今のままでは、ちょっと限界が来てるよ。」という気持ちを抱えて、


猛反発覚悟でルールの提案をしたのです。

 

「やりたいことを全部やらせてあげるのは無理だー。ちょっとルールを作らない?


たとえば、大人がいないときに、車が通るアスファルトの道路の方に、子どもだけで行かない、とか、


たけとんぼに勝手に帰らないとか、聞いてくれるかどうかはともかくとして、言い聞かせ続けない?


これじゃ、安全確保ができない気がする」と。

 

そうしたら、

 

「それ大事かも」


「幼稚園に行った時に、勝手にどこでも行っちゃったら、困ると思うから、今から言い聞かせておいてほしい」

 

と、賛成の声が多かったんですね。

 

私は拍子抜けしてしまいました。

 

なーんだ、後生大事に守らなくちゃ、と思っていたのは、わたしだけだったのかと。

 

そして、「言ってみるもんだなあ」と思うと同時に、もやもやしたすわりの悪さを感じていたのでした。

 

***

 

このもやもやは、いったい何から来てるんだろう?

 

決めたことを守れなかった罪悪感?なんか違う気もするしなあ。

 

とよくわからないまま帰ってきて、ネットを開くと出てきたのがこれ。

 

‥‥「決断させられた体験」が

ないんじゃないですかね。

 

それで、つながってしまったのでした。

 

なるほど。

 

***

 

私は、のびるの立ち上げの時、自分が大切にしたいことは、これだ、と思うことを真ん中に置いていました。


子どもがやりたいことには、とことん付き合うこと。  

 

何か問題がおきたときに、立ち戻って考えていたのは、いつもコレでした。

 

日々の振り返りで、こまごまと「よくなかったところが見つかった」としても、 


「大丈夫、今日も子どもたちはやりたいことをやりきったよ。それを妨げる私じゃなかったよ」


と自分を肯定するために、これはとても大事でした。

 

そんな大事な理念なのに、そして、決めたのは自分だったのに、


覆すときはみんなで赤信号を渡るように、罪悪感を薄めて反故にした様な気がしていました。

 

自分で決断したって感じがあまりしませんでした。


 

みんなで話し合って決めることを否定しているわけでは、もちろんありません。

「みんなで話し合って決める」というのは、

「話し合う」ことの方が、「決める」ことより比重が大きいはずなのに、

気持ちを言葉にしたり、なんでこの提案をしたのかを話す前に、全会一致で決まってしまったような、

その「えっ?」という肩すかし感が、納得できなかったポイントなのでした。

(たとえ、みんなが同じ気持ちだったからだとしても、せめて確認くらいはすべきでした。)

話し合う過程をすっ飛ばした、ただの多数決では、「自分で決めた感」が無くなるんだなー、ということが、初めてわかった瞬間でした。

それが、糸井さんの発言とリンクしたのです。

そーか、いままで、いろんなことを話して決めてきたつもりだったけど、

「決める」ところに焦点を合わせてたから、 

その「話し合いの過程」こそが「自分の責任で決めたんだ」という実感をつくることに気付いて無かったんだなー、と。

私は、「決めてきた」けど、「自分が引き受けるつもりで決断してはこなかったんだなー」と思ったのです。

で、最後に何が言いたいかと言うと、

子どものケンカや、物の取り合いに、「こうしよう」というルールを決めるのは、その都度、状況も違うのに、ナンセンスです。

ならば、その都度、母ちゃん同士が、「私はこう思うよ」って話して、今、その状況に見合ったルールを作る方が良いのではないでしょうか?

お互いが何を大事に子育てしているかを、話して、その場のみんなが、納得しつつ、子どもにより良いと思うルールを考える。

ルールって、本来そういうものですよね?

他人同士が、居心地よく暮らすために守った方が良いことを決めるのが、ルール。

子供の経験を奪わないことは、大前提だけど、決まったルールが存在することで、母ちゃんの「話し合って決める」という経験値が奪われるとしたら、それだって大問題。

この先も、母ちゃんをやっていくなら、子どもに社会とどう付き合うか、っていう、そのやり方を示してあげたいと思うじゃない? 

でも、母ちゃん自身は、一番身近な社会である母ちゃん仲間とも、きちんと話せないなんて、変だよね。

せっかく経験値を上げるチャンスなのにもったいない。
だから、母ちゃんは、子どものためと、自分のために、どんなちっちゃな事でも、仲間と話す方が良いのです。

話し合って、決める。

話し合うからこそ、決めたことに意味と責任が生まれる。

誠実であるって、そういうこと。


他人にどう思われるかより、我が子にどう思われるかの方が、長い目で見たらずーっと大事です。

母ちゃんの誠実なコミュニケーションを、子どもに見せていこうよ。

ルールは、その結果として必要なら作ればいいし、無きゃ無いで子どもに任しといたら、意外とうまくいったりするものなのです。



………と、いうようなことを思ったのでした。

今日からも長くてごめんなさい。伝わるといいなあ。

相模原市内にある常設のプレイパーク。

日曜、月曜、水曜が開園日です。

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