何ができなくたって、母ちゃんは母ちゃんだ!という話

赤ちゃんが生まれたら、こんなことしてあげたい、あんなふうに育てたいと夢を持って出産に臨み、いざ生まれたら、あまりに理想と現実がかけ離れていた、なんて話は、すべての母ちゃんに共通の「あるある」だと思います。


一日24時間拘束され、睡眠時間も食事時間も自分の都合でとることができず、子どもは容赦なく要求だけを突き付け(という風に感じる、という意味ね)、それに応えられない自分を責めて、子どもに怒鳴りちらし、母はひたすら自己肯定感を下げていく。


日本の育児の現状って、こんな感じじゃないかと思います。


親子を取り巻く環境が、「母性神話」を押し付けてくることが最大の問題だと思っていましたが、先日、ある母ちゃんと谷戸で話していて、そこだけじゃないんだな、と気づいたので書いてみます。


発端は、「家の中が片付けても片付けても散らかってしまい、ノイローゼになりそう」という投稿について話していた時のことでした。


私自身は、片付かない家に住むことはさほど抵抗が無いのですが、片付けを貯めると大変になり、後から死ぬ思いをするのは自分なので、旦那さんが休みの日に半日 掃除だけしていい時間をもらい、子どもを連れ出してもらうことで何とか対応していました。

だから、その「半日」が終わった直後はきれいなのですが、そこから徐々に散らかっていき、休みの前日には足の踏み場もない、というのが当たり前でした。


普段、きれいに片付いた家に住むことはできなかったけれど、「週に一回、この散らかった家を片付けることが私にはできるのだ」という達成感が、掃除に関する私の自己評価を下げずにすんだのだと思います。


もともと、片付かない家に人を呼ぶのも全く抵抗が無かったので、「掃除」という評価項目で他人と比べる視点が毛頭なかったという点もよかったですね。


が、それよりなにより大きかったのは、今思うと、旦那さんが、全く掃除や片付けに興味のない人で、布団が何日敷きっぱなしでも、部屋のすみに綿ぼこりがたまっていても、かぴかぴになったご飯粒がこたつ布団にくっついていても、全然気づいていなくて、おかげで、どれだけ汚くても全く文句を言われなかったというのが、最大のポイントでした。


あれは、ほんとに助かったなあと思います。

しかし、彼には別のこだわりポイントがあり、それは、食の管理でした。


義母は、スーパーウーマンで大病院の臨床検査室の室長を務めながら、四人の子どもを育て上げた人なのですが、この方が、それはそれは食に関する造詣が深く、そんなに忙しい身でありながら、四人の子どもたちのために毎食、素材から厳選した手作りの食事をばっちり用意している方だったそうで、旦那は、一人目育児でヘロヘロしている私に「専業主婦で子どもが一人しかいないなら、それくらいはできるだろう」と、同じレベルを要求するのでした。


対する私は、料理は好きでしたが、子どもが生まれてから一日中台所に立って、子どものご飯のことばかり考えながら、ひたすら洗い物をしているような暮らしが、本当に嫌で嫌で、ある日読んだ西原理恵子さんの「離乳食がインスタントラーメンでも母ちゃんが笑っている方が子どもには大事!」という御言葉に雷に打たれたような衝撃を受け、食に関しては手を抜くことを自分に許したのでありました。


なので、朝夕はそこそこちゃんと食べていても、昼は外で思い切り遊ぶことを大事にしていたのもあり、コンビニおにぎりだとか、北欧のサンドイッチだとか、モスバーガーだとかで済ませることが多く、旦那は、それを苦々しく思っていたようでした。


そして、子どもが風邪をひくと「食事の管理ができてないから、風邪をひかせるのだ」と言うのでした。


今思い返しても、これは、ほんとにきつかった。


子どもが熱を出して辛そうで、見ているこちらも心が痛いのに、そこに追い打ちをかけるように「お前が風邪をひかせたのだ」と言われるわけですから。


この発言は、私の「食」に関する自己評価を下げるのに、充分なインパクトを持っていました。


それまでわりと料理は得意だと思っていたのですが、子どもを産んでからは「料理もまともにできないダメ女」というのが自己評価になりました。


さて。

お気づきの方もいらっしゃると思いますが、私はここで自分の『価値』を表すのに2つの言葉を使い分けています。

①自己肯定感②自己評価ですね。


自己肯定感と、自己評価、これは、同じものなのでしょうか?違うものなのでしょうか?


字面だけ見ていると、同じような気もしますが、実は微妙に違うものだと思います。


自己評価というのは、自分を客観的に評価することですから、他人との比較という物差しが存在します。

対して自己肯定感というのは、自分のいいところも悪いところもすべてひっくるめて、自分を認めるという事ですから、他人との比較という客観的指標は必要がありません。



自己評価は、比べる他者によって変動しますので、ある時は「優越感」を招き、ある時は「劣等感」を招きます。

私が食に関して、ダメな評価しか持てなかったのは、義母との比較という物差しを押し付けられ、「自分でもそれを採用していた」からでしょう。


私がそれなりに、自己肯定感の高い人間であれば、押し付けられた物差しをはねのけ、「自分は自分だ」と思うことができたのでしょうが、育児をする者の弱点がここにあります。

それは、「親の行動がすべて、子どもに影響する」という圧力です。


私の例でいうなら

「食事の栄養管理ができていないから、子どもに風邪をひかせる」

というのがそれですが、ほかにも

「片付いた部屋に住んでいないと、子どもも将来、片付けられない大人になる」

「両親が仲良くないので、子どもに愛を教えることができない」

などなど、いろんな圧力があります。


これは、世間からちくちくビームという形の、明確な形を成さないプレッシャーとしてのしかかることもあれば、親族、友人、知人から「アドバイス」や[あなたを思って」という優しさの衣をまとってやってくることもあります。

または、本や講演会といった、自分から求めて得た知識が自分を苦しめることもあるでしょう。


けれども、それらは結局、相対的にころころ変わる「自己評価」に基づく価値でしかないのですから、「自己肯定感」さえ高ければ、はねのけることができるものです。

理屈では。


が、それがなかなかできないのはなぜかと言うと、教育による洗脳が大きいからでしょう。

日本の教育は、(私の世代では明らかに相対評価でしたので)他者との比較なしに存在しないものでした。

「あなたは、算数では、○○君より優秀だけど、国語は負けてるわね」というのが、学校での子どもをはかる評価になっていました。

なので、人より劣るところは、努力で克服することが美徳とされ、人よりできるところは、頑張ってそれをキープするよう言われ、結局、そこでは、ありのままの状態を見るというより、「努力の量をはかる」という評価のされ方をしてきたわけです。

「最後まで投げ出さないで、努力できる人が偉い」というような、ね。


それが身についている者としては「できない事、苦手なことを手放すのは、怠惰な人間のすること」というマイナスの評価が与えられてしまうことがわかっているため、いつまでも、苦手なこと、嫌いなことと向かい合って暮さねばなりません。


私のように「一日中台所にいる暮らしは嫌だ」と思って向き合わない方法を考えても、「それは甘えだ、卑怯だ、ずるだ、逃げだ」とする価値観が追いかけてくるのです。


これはつらいわ―、と思います。



ここに、

「大人になっても低い「自己肯定感」を飛躍的に高める5つの方法」 というサイトがあります。

その中に、こんな文章があります。

”自己肯定感とは本来であれば幼少期に植え付けられるものであるため、それを大人になってから一朝一夕で身に付けるというのは容易ではありません。


大人の場合は自分自身の行為に常に成果と責任がついて回るので、子供のように失敗しても無条件で許されるということはあまりありません。大人になってから自己肯定感の元になる「成功(肯定的)体験の積み重ね」をするのには限界があるのです。


そこで大人になっても自己肯定感が低い人にまず行ってもらいたいのが、「できないことを切り捨てる」ということです。


まず自分自身が苦手なこと、できないことをいくつか挙げ、それを「できない順」にランク付けしてみましょう。そして「よりできないこと」に関してはそれを改善するのではなく、諦めて切り捨ててしまうのです。


こうすることで「できない、苦手なこと」に対するプレッシャーを和らげ、そこに人生のリソースを過度に投入することを防ぐことができます。


まずは「自己肯定感を高める」のではなく、「自己否定感を低める」という「ダメージの最小化戦略」を取りましょう。”

大人になってまで、苦手なこと、嫌いなことを克服するための辛い苦行の時間を過ごすことはないのです。(いや、本当は子どもだってそうです。できること、得意なことだけやって、楽しく過ごせる道を、みんなが探せたら、もっと社会は幸せなものになると思います。)


人生は短いのだから、苦行に時間を割くより、楽しいことに時間を割く方が圧倒的に正しいのです。


さあ、手放せ。楽になろう。

それが自分と子どもを救う道なのですから。

相模原市内にある常設のプレイパーク。

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