ごめんなさいを育てる

*このお話は、やっと言葉を使い始めた2歳くらいのチビさんを念頭に置いて書いております。



SSTという言葉をご存知でしょうか?
療育の中の一つに、ソーシャルスキルトレーニングというのがありまして、
対人関係を作るのが苦手な自閉っ子ちゃん達に、
「こんな場面では、どう振る舞うのがいいのか」
「こんな時には、どう言えばいいのか」
をロールプレイなどで教えることを指すのですが、その頭文字を取ってSSTと略されます。

簡単なところでは、朝会ったら「おはよう」、帰りは「さようなら」。
相手が嫌がることをしてしまったら「ごめんなさい」、などなど。



チビさんたちと谷戸を歩いていると、時々、相原の地元の方々や、
ハイキングのおじいちゃん、おばあちゃんにお会いすることがあります。

私が
「おはようございます」
と挨拶をすると、おしゃまな女の子などは、真似をして
「おはようございます」
と元気に言います。
その時
「えらいね!元気に挨拶できたねー!」
と声をかけると、周りの子達も、褒められようと我先に
「おはようございます!」
の嵐になり、先方が困惑する、というよーなこともままあります(笑)。

それを二、三回繰り返すと、私が何も言わなくても、私がいない時でも、進んで挨拶する子になります。

元気に挨拶するチビさんたちは、それはそれはかわいいので、
された側も、ニコニコと「えらいわねえー」と褒めまくってくれ、
それが強化子になって、さらに強くインプットされるわけですね。

(別に挨拶する子を育てたいわけではないので、
挨拶しない子がいても、特に何も言わないし、
言いたくないのに言わせるのは、絶対間違ってると思うのでやりませんが。)



定型発達の子どもたちは、こんなふうに
社会で気持ちよく過ごすためのスキルを、ことさら取り上げて訓練しなくても
身についてしまうわけです。

でも、周りの雰囲気から察したり、そもそも真似したりということが、
あまり得意でない自閉っ子ちゃんの中には、
場面に応じた言葉が出てこないで、固まってしまったり、
無視してるように見えたり、パニックになったりしてしまうことがあるので、
それを補うためにSSTが必要だとされてきました。

ところが昨今、このSSTについて
「感情が育ってないのに形だけ教えても仕方ないのでは?」
というような反省があり、
「まずは、感情を育てましょう!」
という流れになってきています。

つまり、「ごめんなさい」を言わせる前に、
「悪いことをした、すまない」という気持ちを育てるのが先だよね、
ってことです。

(あたりまえな話なんだけど、それくらい
「自閉症の子達は、自分の気持ちすらわかってないものだ」
と思われてきたってことなんでしょう)



それでですね。

何が言いたいかというと、メインはここからなんですけど。

同じことを、母ちゃんは、我が子にしてないだろうか?
(もっと正確に言うなら、させられてはいないだろうか?)と思うんです。

特に、やんちゃな男の子の母ちゃんは、
人を見たら条件反射で頭をさげるくらい毎日謝りどおしで、
見ているこちらが切なくなるくらいなんだけど、

もっと切ないのは、訳がわかってない我が子に
「謝りなさい」と言わなきゃいけないことだろうなーと思うんです。

だって、おもちゃを取り上げて、相手の子が泣いてても、
取り上げた本人は、「やったー!」と嬉しそうなんだもん。

絶対、「悪かった」なんて思ってない。

「手に入ったぜ〜!バンザーイ!」としか思ってないのに、
「すまない、わるかったよ」を表す「ごめんなさい」を無理やり言わせてたら、
言葉と気持ちはどんどん乖離しますよね。

大事なのは、記号としての「ごめんなさい」を言わせることではなく、
「対人関係で生まれる複雑な感情体験をさせる」ことではないのかなあ、と思うんですよ。

なんで「ごめんなさい」が必要かって言ったら、
それは、自分のためなんです。

「うわー、ぼくがおもちゃ取ったから、大好きな●●ちゃんが泣いちゃった。
一緒に遊びたいのに、泣いて怒ってる。
どうしよう。
ぼくも気持ちがだんだん悲しくなってきたぞー。うわーん」

というような、心の葛藤を
「ごめんなさい」「いいよ」がすっきりさせてくれるから言うんですよね?

え?ちがう?

「相手に悪いことをしたのだから、相手を尊重して謝意を表すのが先でしょう?
傷つけてしまった、そのことに対して、ごめんなさい、でしょう?
自分がすっきりするため、って変じゃない?」

変じゃありませんよ。それは大人の理屈です。

だって、元々の原因は、モノの取り合いでしょう?
相手の子も、この子も、同じものが欲しかった。
別にそれは、悪いことではないですよね。
素直な感情です。
まだまだ幼くて、自分の感情がセーブできなかった。
順番の概念が育ってなくて、待てなかった。
どれも、別に悪いことではありません。
できないことなんか、ゴマンとあって当然です。
まだ、生まれて二、三年しかたってないんだもの。

だから、「悪いことをした」から「ごめんなさい」じゃあないんです。

「ごめんなさい」を言うと、
「すっきりして気持ちがいい」「また一緒に遊べる」
という自分の得になるんです。

最初は、そこを教えてあげないと、
言葉を使いたい気持ちなんて育たないんじゃないかなあ?

「どうしよう、やっちまったー」という、すっきりできない気持ちを
味わわせることが大事なんだと思うんですね。

(逆にこの気持ちを感じていることがわかれば、
無理にごめんなさいを言わせなくてもいいと思います。
嫌な気持ちを引きずって過ごすことだって、大事な体験でしょうからね。
それこそ、ごめんなさいを言った時のカタルシスもでかくて、
「ああ、言ってよかった!」と思えることでしょう。)

周りの子どもが、その子にとって大事なかけがえのない仲間になったら、
きっと、泣いてる子を見て「やったー!おもちゃゲットー!」とは思わないし、

そこまで育ってない子に、無理やりごめんなさいを言わせても、
意味なんかないんじゃないでしょうか?

それに、たいていの子どもにとっては、言い聞かせるより、
体験する方がはるかに身につくことが多いので、
本当は、大人が止めないで、徹底的にどうなるかを見守ってみることも、
きっと大事なんだろうなと思います。

黙ってみてたら、
泣いてる子に味方する子が現れて、
取られたおもちゃを取り返してくれるかもしれないし、
(そしたら、自分も「取られる」という悲しい体験をできるよね)
「あいつは意地悪だから遊ぶのやめよう」とみんなが思って
仲間はずれにされるかもしれない。

大人が「そんなことしたら遊んでもらえなくなっちゃうよ」と諭すより、
ずーっとリアルにいろんな感情を経験できると思いませんか?

昔は、今より大人が忙しくて、大人が見ていない子どもだけの社会があったから、
きっと、小さな頃から、いろんな葛藤を体験して大きくなったんだろうなーと思うんです。

子どもの方が、大人よりどストレートだからね。
嫌なことをすれば、嫌なことをやり返されただろうし、群れの中には、仲裁役もいただろうし。
子どもにわかるルールをきちんと提示する役割を持つ子もいたんだと思うんです。
そんな中で社会性を育んで、園なり学校なりに進んでいけたのでしょう。




話は変わるようですが。

今ね、小学校の1クラスには、二、三人の発達障害グレーゾーンの子どもがいるんだそうです。

昔も、今も、生まれてくる子どもが、障害を持つ確率なんて、
そんなに変わるものではないと思うので、じゃあ、何が変わったかと言うと、ここなんです。

幼児期の子どもの群れの崩壊。

圧倒的な、感情体験の乏しさ。
コミュニケーションを体当たりで練習する場所の少なさ。

おそらく関係してると思います。

大人が危ないからといろいろ取り上げた弊害が、こんなところにも!って感じですよね。

できるだけ返していきたいなあと、思っています。
子どもたちのためにも、かあちゃんのためにも。

相模原市内にある常設のプレイパーク。

日曜、月曜、水曜が開園日です。

詳しくはリンクをクリック!

 

 

 

 

銀河の森プレイパークで活動する、ママと小っちゃい子のための青空外遊びの会「もりのこ」。就学前のお子さんであれば、どなたでもご参加いただけますよ。

発達障害を持つ中学生の親御さん対象のおしゃべり会です。
どんな人たちが、どんな気持ちで運営しているのか読んでみてください。

ご存じ、音楽療育家の西堀美和ちゃんが小田急相模原で開設しているゆっくりさんたちのための教室です。NPO法人てとて。

感覚統合について学びたい方へ向けた、出張講座を承っております。こどもに関わるお仕事をされている方、育児サークル、何でも五名以上で伺いますよ。