2016年

7月

20日

千葉県習志野市で感覚統合の研修会をしてきました。

7月6日水曜日、千葉県習志野市にある、菊田第二保育所というところで、園内研修の講師として20名の保育士の先生方を前に感覚統合のお話をさせてもらう機会をいただけました。

 

体調に不安があり、引き受けるかどうか迷ったのですが、結果から言うと、やらせていただけて本当によかったと思っています。

 

千葉県のディズニーランドより先に行ったことが無い私としては、未踏の地が踏めたこともなんだか達成感があったし、先生方はみなさん熱心で優しくてよい方ばかりだったし、園内のちびさんたちも、ちょっとしか会えなかったけれど、みんな満ち足りてる顔をしていました。

続きを読む 0 コメント

2016年

6月

12日

横浜 おめめどうセミナー雑感

ここ最近、プライベートな理由で引きこもっていまして、たけとんぼの活動にほとんど参加できていないぢーこです。
が、昨日は横浜のあざみので、敬愛する奥平綾子さん(障害者の居心地いい暮らしを提唱しつづけ、丹波篠山から毎日発信しています。(株)おめめどうの社長さんです)のセミナーがあったので、参加してきました。

 

奥平さんには、二人のお子さんがいて、次男ダダ君が自閉症です。

 

知的障害も併せ持っていて、小さいころ一番つらかったのは「コミュニケーションがとれないこと」だったそうです。
そこから、「障害のある人とのコミュニケーション」をど真ん中に置いて、わが子の支援活動⇒起業となっていかれました。

 

うちには、定型発達の子どもしかいませんが、

 

これまで自閉症支援を実践する過程でうまれてきたさまざまな知見が、実は定型発達の子どもたちにもとても有効なように、

 

奥平さんの思想も、まさに「子育ての真髄」を語っていらっしゃるなあと思うのです。

 

***

 

でも、その話をする前に。

 

ここで少し、私が体験した自閉症支援の歴史を振り返ってみます。

系統的に学んだわけではないので、プライベートな遷移の記録として呼んでください。

療育の世界そのものが、このように移り変わってきたわけではありません。(と思います、よく知りませんが)

 

私が最初に「自閉症・発達障害」という概念と出会ったのは、都内のプレイパークで行われた「感覚統合学習会」でした。

プレイパークでの遊びが、アメリカで発達障害を持つ乳幼児対象に行われる「感覚統合療法」と言われるものに、とても似ている、というところから『子供の遊びと感覚発達の道筋』の基礎を教えていただきました。

 

そこから、感覚統合学会主催のセミナーに参加したりして、独学で学んできたわけですが、

 

最初の頃(といってもほんの10年ほど前です)は、「こどもに失敗させない事=成功体験を積ませること」を最重視する、というのが療育の根底にありました。

 

常に周りから「できないやつ・ダメなやつ」だと思われ、二次障害に至る危険をはらんでいる「発達障害の子どもたち」に、療育の場でまであえてつらい思いをさせることはない、極力失敗させず最後は必ず、楽しい経験で終わらせること、「できた」という喜びで終わらせることを教わりました。

 

なるほどな、とその時は思いました。

そういう繊細な子供たちなんだな、じゃあ、メンタルな部分を守ってあげることを考えないといけないんだな、と。

 

その後、独学で読み進めたいろんな本の中に「花風社」の有名な「自閉っ子、こういう風にできている」というシリーズがありました。

 

アスペルガー当事者で、大人になった「ニキリンコさん」と「藤家寛子さん」のお二人が、主に自分の感覚面での他者との違いを語っていらっしゃるとてもいい本です。

 

その流れで、花風社の本をいろいろ読み漁るうちに、社長の浅見淳子さんが、これまでの「失敗させない療育」「発達障害は先天的なものだから、治らない」という二つの潮流に真っ向から反対を唱えていることを知りました。

 

「発達障害者だって、成長はする、治るところは治る」

腫れ物に触るように、失敗回避ばかりさせないで、本人に努力させる経験が彼らを成長させる

 

要約すると、こう言っていらっしゃるように読めました。

「鍛える」というワードが一番近いかなあ。

障害があるからって、「鍛えてもらう」経験を奪うな、と言っているように感じました。

 

こちらも、なるほどと思いました。

スパルタは嫌いですが、いずれ社会に出ていく子どもたちを、囲い込んで純粋培養するわけにもいくまい、自分でできるトラブル対処は、自分で学んでもらう方がいいだろう、と。

 

そして、最後に出会ったのが奥平さんです。

 

奥平さんの思想はシンプルでした。

「良かれと思って周りがあれこれするより、本人がどうしたいのか聞いてみたらええやん」

 

これは衝撃でした。

当たり前のことなのに、誰も言ってこなかったからです。

 

「重度の自閉症、重度の知的障害がある人たちの言う事なんか、大した考えじゃない、信用できない、ちゃんと私たち大人が最善の道を考えてあげなくちゃいけない」という、自覚・無自覚を問わず、たいていの親御さんがおもっていそうなこの考え方を、かるーく足払いしてしまう思想でした。

 

「そうはいっても、重度の子たちの自発的な表出(気持ちや意思を伝えようとすること)なんて、あり得ないでしょう?話す言葉はエコラリア(記憶に強く残っていたり、直前の耳からの刺激に引っ張られて、特に思ってもいない、伝えたいと思っていない言葉を繰り返すこと)だったり、ある時は正反対だったり、何を信じたらいいのかわからないから困っているのに」

 

多くの人たちはそう考えました。

 

でも、奥平さんがすごかったのは

「口で言わせるからわからんねん、書いてもらえば本音が出てくるで」

と筆談によるコミュニケーションを提唱し続けたところです。

 

それは、一朝一夕にできることではないし、筆談コミュニケーションの前に、選択活動、スケジュール、カレンダーなど、日常の暮らしの支援があって初めて、整った筆談コミュニケーションができるのですが、

 

「このやり方ならできる」という見本が奥平家の次男ダダ君を筆頭に全国に何千人もいるわけです。

 

そして、彼らはみんな穏やかな青年期を迎え、自分で自分の暮らしを考えて、自分の収入内でできる楽しみを見つけて楽しく生活している。

 

自分の意思を尊重してもらえる暮らしが、気持ちの安定を生み、穏やかな暮らしを保証しているのです。

 

「本人の意思を尊重する」なんて、聞けば当たり前のことなのですが、その当たり前の「本人の意思」が誰にもわからなかったのが自閉症というものだったのに、

 

そこに「意思を伝える手段」を教え、周囲とやり取りする=コミュニケーションをとる方策を切り開いて見せたのが、奥平さんだったのです。

 

すごい。

 

そのノウハウをここだけで伝えるのは難しいのでしませんが、今回のセミナーも「これ、定型発達の子育てをしているお母さんが聞いても、役に立つことだらけなのに」と思いながら帰ってきました。

 

いつか、そのエッセンスを抜き出して、子育て講座にできないかな、と夢を見たりしています。

わかってしまえば、簡単なこと。

「よかれと思って与えることをやめて、本人がどうしたいのかを丁寧に聞く」

赤ちゃんでも、高校生でも、同じことです。

 

おめめどう、いいですよー。(^-^)

 

続きを読む 0 コメント

2016年

6月

04日

利用票の書き方について

最近、日付や名前の記載が無い利用票がよくありまして、利用人数把握や会計の計算の時に、困っています。

 

ちびさんを連れてきていると、途中でお腹がすいたと泣かれたり、眠くてぐずったりで、なかなか細かい作業はできないよなあと思うし、あんまり細かいことを言うのも申し訳ないのだけれど、

 

チェックリストの印はつけなくても、せめて名前と日付は書いてほしいのです。

特に、日付が重要。日付さえ書いてあれば、予約状況から、どなたの利用だったのかは大まかに把握できるので。

そこで、利用票の書き方を再度確認していただく意味で、こちらのブログに載せておきます。

 

一度目を通してみていただけると助かります。

続きを読む 0 コメント

2016年

5月

10日

子どもの幸せって、子どもが決めていいんじゃないの?

今日はですね、楽しい楽しい、ちび谷戸の日だったので、その話を書こうと思っていたのですよ。

 

でも、朝聞いた悲しい話が頭に残っていて、楽しい事が、まだ書けない。

なので、そのことを吐き出します。

 

現場の先生方にもきっといろいろあるんでしょうけれども、あえてそこは見ないで、悲しい子どもの気持ちを思い切り伝えたいと思います。

 

++++++

 

お泊り保育って、たぶん、どこの園でもある行事だと思うのですが、初めてお母さんから離れて園のお友達や先生とお泊りするという、わくわくドキドキの行事ですよね。

 

楽しみなんだけど、大丈夫だろうか、お母さんが居なくて、やっていけるんだろうか、という不安と闘いながら、葛藤を乗り越えて一つお兄ちゃん、お姉ちゃんになるという、みんな通ってきた道です。

 

とっても楽しみにしている、そのお泊り保育を、園から「来ないで下さい」と言われちゃった子がいるのだそうです。

 

 

その子は、うっすらと発達障害があって、おそらく、日中の保育も他の子よりは手がかかるんだろうな、とは思うんです。

でも、その子がお泊り保育を楽しみにしているってことは、友達との関係や、先生との関係は楽しいものなんだろうなとも想像できる。

 

なのに、来ないでくださいって、どういう事だよ、と思うわけです。

 

++++++

 

私が知ってる園は、どこも、「新しく仲間になった子どもを、どうやって受け入れるか」ということに心を砕いてくれる園ばかりです。

障害があろうが、持病があろうが、仲間だよね、と。

だから、みんなでする行事を、あの子はこなくていい、という事は絶対にしないです。

 

これ、先生のスキルや心の問題だけなんでしょうか。

 

私の知ってる先生たちが、あったかくて立派で力量のある人たちだったってことなんでしょうか。

受け入れられない先生たちが、狭量で冷酷で力が無いからできないのでしょうか。

 

違うと思うんです。

 

そうじゃなくて、もっと、大きく違うところがあると思うんです。

 

その差は何か、と考えてみると、一緒に過ごした経験の有無じゃないかと。

 

++++++

 

 

昔は、障害の重い子たちには「就学免除」「就学猶予」という制度がありました。

 

「免除」とか「猶予」というと、なんだか、「無理してこなくていいよ」という労りのような感じですけど、実際はそうじゃありません。

 

義務教育というのは、「親が子どもに教育を受けさせる義務」を負う教育のことですから、この場合「免除」や「猶予」されるのは、親の義務なんです。

 

「この子は、みんなと一緒に学校で勉強させるのは無理だから、親のあなたの「教育の義務」は免除または猶予してあげます。おうちで見てください。」という事だったんですね。

 

で、その義務が猶予されていた時代が長く続いて、次に来るのが養護学校の義務化(1979年)でしょうか。

(とってもざっくりとしたお話ですみません。詳しく知りたい人は自分で調べてくださいね。間違ってるかも。)

 

学校に行けなかった重度の肢体不自由児や、重複障害の子どもたちが、就学免除・猶予制度の廃止によって、養護学校(今は、名前が変わって「特別支援学校」)に行けるようになりました。

 

でも、その時にね、

「せっかく養護学校があるのに、なんで、どう見ても学校の勉強についてこられてない子たちが、普通の学校に来てるのよ?」

っていうんで、この時期、近隣に養護学校があった地域の小学校から、障害児の姿が消えていくんです。

 

昔は、器が無くて、仕方なく(形だけは)インクルーシブ教育だったものが、養護学校という器が整備されて、障害のある子たちは、そっちにやられてしまったわけですね。

 

つまり、1979年以降に小学校に入学した人たちは、兄弟や親せきに障害のある子がいない限り、身近に障害のある子と接する機会が全くなかったんじゃないかと思うんです。

 

そして、幼稚園、保育園という、世代交代が激しい職場で、生まれてから一度も障害のある子たちと接した経験も知恵も持たない若い先生たちが増えていった結果、

 

「障害のある子は、健常児とはいっしょにしない」という、無意識の常識が、お泊り保育拒否を言いだしているんじゃないかと思ったんです。

 

だって、その人たちが育ってきた世界では、「わける」ことが当たり前だったんだから。

 

++++++

 

「わける」というのは、良い事でもあったのでしょう。

養護学校が整備されて、それまで教室で持て余されていた子たちが、その子に合った教育を受けられるようになったことは、本人にも親御さんにも嬉しい事だったと思います。

 

でも、おそらく一生、生まれた地域で生きていくことになる障害のある人たちにとって、地域と切り離された学校生活は、果たしてメリットはあったんだろうか、と思うんです。

 

そして、周りの人たちには?

 

「みんなちがって、みんないい」というフレーズを、ありがたがって、そうだそうだ、ともてはやす割に、その「違い」を、どこまで認めてますか?

 

ここまでなら許せるという無意識の線引きをみんながしてはいませんか?

 

個性の範疇なら「違ってもいい」と思えても、そこを逸脱するスーパー個性については、「変だ、おかしい」と

レッテルを貼って、のけ者にしてはいませんか?

 

そして、「変だ、おかしい」と思う自分の差別する心を正当化するために、「障害のある人は、その人たちにあった教育を受けるべきだ、それが幸せだ」って決めつけているんじゃ・・・?

 

+++++++

 

「幸せは、自分で決めるもの」というのは、あまりに使い古されて手あかのついたワードですが、でも、それは真実なんです。

 

「障害があるから、支援学校に行きなさい、それが幸せだよ」と誰かに決められるのではなく、自分で選びたい。

 

「障害があるから、お泊り保育は来ちゃダメです」と言うのではなく、本人が望む限り、どうしたら一緒に行けるのかを考えてほしい。

 

それに寄り添って生きるのが、教育者、保育者という広い意味での支援者ではないの?

 

そして、そんな本人たちの意思を、気持ちを無視して

「こっちのほうが、幸せだよ」と、

自分の差別する心を制度という覆いにかくした上で、

安心して分けようとる私たちも、

十分にひどい人たちなんだと思います。

 

まずは、聞こうよ。どうしたいのか。

本人の気持ちの確認なしに、本人のことを決めていいわけがない。

 

そう思いませんか?

続きを読む 0 コメント

2016年

4月

02日

世界自閉症啓発デイに寄せて③ 障害者差別解消法施行

いよいよ、本日、世界自閉症啓発デイです。

私の住む相模原では、発達支援センター陽光園が中心となって、こんなキャンペーン活動をしています。

 

一つ一つ、陽光園の職員さんの手作りなんだそうです。(^-^)

続きを読む 0 コメント

2016年

3月

28日

【お願い】活動報告書原稿募集!

2016年度で、活動三年目を迎えるたけとんぼです。

日々の利用料金だけでは、なかなか賄えない費用を捻出するために、今年度から「たけとんぼ友の会会員募集」と「活動報告書の販売」を始めてみました。

 

どっちも、大して特典は無くて、「活動報告書」を買わされるだけなんですが。(笑)

 

それでも、たくさんの方が購入して活動を支えてくださり、今年もたけとんぼは黒字で一年終われそうです。

 

本当にどうもありがとうございました。

続きを読む 0 コメント

2016年

3月

24日

谷戸保育のびる 第2期卒会式の日のこと

3月24日、涙雨降る相原で、のびるの第二期卒会生たちが巣立っていきました。

どんどん大きくなるこの子たちが、ずーっと狭いたけとんぼにいられるわけないんだし、と

最初からわかっていて始めたことなんだけど、やっぱりさびしさはぬぐえません。

 

空も私の気持ちをわかってくれてたみたいで、朝からしとしと小雨が続いていました。

 

本当は、気持ちよく晴れあがった谷戸で最後のお別れをしたかったんだけど、

きっと、たけとんぼも最後のお別れだから、うちにいてよ、って思ってたんだな。

 

ぞろぞろやってくる子どもたち。今日は、卒会生だけじゃなく、そのきょうだいたちも一緒なので、いつもより大人数。

カッパに着替えて庭に集合です。

 

雨でも、谷戸にお別れには行きたかったので、「今日のルートは、猫の階段から谷戸に行って、戻ってくるよー」と子どもたちに伝えました。

続きを読む 0 コメント

2016年

3月

22日

自閉症啓発デイ《4・2》に寄せて①学習障害って、どんなこと?

4月2日は、世界自閉症啓発デイなんだそうです。

自閉症とか、発達障害とか、メディアに取り上げられることも増えてきて、聞いたことある人は多いと思います。

 

でも、身近に自閉っこちゃんたちがいないと、なかなかわからない世界のことだし、

 

教育の場は今、できるだけ「障害がある/ない」で子どもを分断することに熱心で

 

(効率的である、という理由だと思うんですけども、そこで失われるものもたくさんあるんだと思います。

 

でも、それは、今日の話とは関係ないのでまたいずれ)

 

ますます、接する機会が無いため、きっと、自閉っこちゃんたちに会う機会があっても

 

「どう接したらいいのか」わからない人ばかりなんだと思います。

 

そんな時は、とにかく、まず知ることからです。

 

子どもは、よくわからない人や出会った時、遠慮なく、じろじろ観察して、自分なりに

 

「ああ、こういう人なんだな」

 

って理解していくけれど、大人には、「その『じろじろ』が差別的だ」というフィルターがかかっているので

 

どうしても、見ないように見ないように、でも遠くからちら見して、「かわいそう」という箱に分類して

 

おしまいにしてしまうことが多いです。

 

本人や家族にとっては、遠ざけられる感じが、本当に嫌だろうなと思います。

 

だからこその「啓発デイ」なんでしょうね。(^-^)

 

今日は、「発達障害」に区分される「学習障害」について、すっごくわかりやすい動画があったのでご紹介しますね。

 

(でも、自閉症や発達障害を知れば知るほど、学習障害って発達障害とは、全然違うものに思えて仕方ないのですが??詳しい方、教えてくださいね。)

 

ご自身も学習障害をお持ちの神山忠さんの講演です。

続きを読む 0 コメント

2016年

3月

21日

震災の記憶

震災の記憶、っていうタイトルなんだけど、

 

私の五年前の3.11は入院中のくりに付き添って、免震構造の立派な病棟にいたので、ほとんど揺れもなく

 

関東でもたくさんの人が恐怖を感じたというあの、大きな揺れを体感することはなかったのです。

 

なので、なんとなく、毎年3.11が近づくと、申し訳ないような気がしていました。

 

ごめん、私たいして困らなかったの、って。

 

そんな私が、今日は、町田の市民フォーラムで、震災をテーマにした映画の上映会に参加してきましたので、

 

ちょっとそのことを書いてみようと思います。

 

以下、フェイスブック投稿からのコピーです。

続きを読む 0 コメント

2016年

3月

19日

人権を考えてみるシリーズ②遊びを条件付きでしか肯定できないことについて

たけとんぼの運営を始める前、何年もプレイパーク活動に関わっていました。

 

とってもとっても豊かで楽しい、夢のような子供時代を送らせてもらった「めだか子供の家」を卒園して、小学校に入学したわが息子くりさん、

 

なかなか学校になじめずいたので、何かしら居場所を作ってあげたいなと思って行きついたのが、プレイパーク作りの活動でした。

 

その活動が結実して、今は常設の「銀河の森プレイパーク」となりましたが、昔は毎月一回の出前活動でしたので、「居場所」になるほどしょっちゅう入り浸ることはできませんでした。

 

でも、そこで出会った友達は、くりの小学校時代を支えてもらったなあと思えるくらい、楽しく通じ合える仲間だったようです。

 

休みの日は、よく連れ立ってほかのプレイパークに遊びに行ったり、夏の川遊びを楽しんだり、お互いのおうちを行き来して遊んだりしていました。

 

好きにやっていい場所、やりたいことを、誰かに指図されたり、邪魔されたりしないで思い切りやれる場所。

プレイパークはそんなところだったので、学校でのいろんな不満を発散できる場所でもありました。

 

毎朝「ああ、学校行きたくないなあ」と重い足取りで出かけていくくりが、ここでは、楽しそうに遊ぶ姿を見ることができる、というそのことだけで楽しかったです。

 

 

続きを読む

2016年

3月

18日

出張!!先生のための感覚統合講座開催報告

3月11日、ご縁をいただいて、感覚統合の知識を育休中の四人の先生方にお伝えする機会を作っていただきました。

 

たけとんぼで開催している感覚統合の講座は、定型発達のお子さん(世間では「健常児」という言い方をしますね。障害を持たない子どもたち、という意味です。)

 

を子育て中の母ちゃんたちを対象に、一見無駄に見える子どもの遊びに隠された発達のふかーい意味をお伝えしているのですが、

 

今回は、先生方対象ということで、「特定の感覚が育ってないことで、学校で問題となるであろうこと」や「どんな支援をしていったらいいのか」ということを思い切り盛り込みまくってきました。

 

呼んでいただいた方のご自宅でちびっこたちも同席という、勉強するには不利な環境で、1.5時間もの長丁場に付き合ってくださってありがとうございました。

 

下の図は資料の中の一枚です。

 

伝えたかったことは、「わざとじゃないんだよ」っていう子どもたちの心の声です。

 

きちんと受け取っていただけたようで、暖かい感想をいただきました。

 

資料の下に転載します。

続きを読む 0 コメント

2016年

3月

12日

人権を考えてみるシリーズ①「ありがとう」と「ごめんなさい」

最近の私の「世界を理解するためのキーワード」は「人権」なので、思い出したように時々「人権」について考えることをやってみたいと思います。

 

以下の文章は2014年に私がフェイスブックに上げた文章です。

 

全編、子どもの私目線で書かれているので、なんか悲しい話になってしまってますが(^^;

 

伝えたいポイントは、最後の方の「ありがとう」と「ごめんなさい」の部分です。

ちょっとそこを念頭に置いて、以下読んでみてください。

続きを読む 0 コメント

2016年

3月

11日

そのままの君が好きだよ(^-^)

先日のブログ

 

「これを書いたら、総スカンでそっぽ向かれるなあ」

 

と思って書かないことを、今日は書いてみようかなと思います。

 

と書いたら、友達から

 

「飯田さんでも「自分の子ども自慢が嫌味になる」みたいなことって気にするんだ?」

 

と驚いたように言われました。

 

「飯田さんでも」ってのはいったいなんなのかと思いますが、適切な観察です。(笑)

 

そうなんですよ、私そんなことを気にしてたわけじゃないのです。

 

驚いてくれてありがとう。わかってくれててありがとう。もちろん、そんなの気にしてません。

 

じゃあ、何を気にして書けなかったか、ってことなんですが。

続きを読む 0 コメント

2016年

3月

09日

戦わない子育て

最近の私は、いいこと続きでとっても浮かれまくっていて調子に乗っちゃっているので、普段だったら

 

「これを書いたら、総スカンでそっぽ向かれるなあ」

 

と思って書かないことを、今日は書いてみようかなと思います。

 

 

続きを読む 0 コメント

2016年

3月

05日

渋谷区 はるのおがわプレーパークで紙芝居をしてきました

今日は渋谷区の代々木公園駅近くにある、はるのおがわプレーパークで、感覚統合の紙芝居をやらせてもらいました。

 

私にとっては、都内は魔窟なので、あんまり張り切って出かけていきたいところではないのですが(乗り換えはわかんないし、駅に改札はいくつもあるし、なんだよ、もう!ってなる(--;;)

 

はるプレはとても居心地の良いところで、この、わちゃわちゃ感が好きだわ―と思いながら、まずは高いところに登って写真を撮らせていただきました。

 

続きを読む 0 コメント

2016年

3月

03日

わたしが感覚統合の話をする理由

大人のすれ違いって、思い違いから生まれることが多いですよねー。

人のすることは、「その人の考え方」がベースにあって、それが「行為」として生まれてくるんだけど、

人がどう考えるか、どう感じるかは、その人にしかわからないことで、他人にはわからない。

わからないものを、わかろうとするとき、

「自分だったら、こういう行動をするときは、こう考えてるからだ」

というのを、相手にあてはめて、その人の気持ちや考えを類推しようとする。

で、ほんとは「存在しない悪意」を相手の中に生み出して悪者にしてしまう。

夫婦喧嘩も、そんなところに原因があったりしますよね。

私が感覚統合の話をする理由も、その辺にありまして。

子どもがやってること(行為)の動機を、大人が大人の理屈で類推すると、たいてい間違うんですね。

「意地悪」や「悪意」が存在していないところにその概念を持ち込むので、子どもは、大人の手によって「悪者」にされてしまう。

それは、すごーく、辛いことだと思うんです。
大好きな母ちゃんに、お前はワルモノだ、って決めつけられることだものね。

でも、子どもは言えない。
反論して誤解を解けない。

なので、子ども側からの気持ちを発信しているつもりでいるのです。

だから、私は

「うちの子、鼻ほじってばっかりで、汚くてー」

と母ちゃんに言われたら、子どもが、鼻をほじらずにいられない理由を考えます。

退屈だとか、悪癖だとか、そんな理由ではなく、感覚的なところから。(笑)

視点が増えると楽になる、ってそーいうことですよ。^_^

無駄に子どもを叱らないですむ、ってのは、無駄に子どもをワルモノにしないで済む、ってことなのです。
続きを読む 0 コメント

2016年

2月

29日

感覚統合のお話と、学びの意味のお話

うるう年のラッキーなおまけの一日の更新です。(^-^)なんか得した気分。

さてさて、昨日はたけとんぼで感覚統合のお話をしてきました。

これまでは、マニアックな私の詰め込みすぎな講座を消化できない母ちゃんたちが大勢いたんじゃないかという(やっと気付いたのか、というツッコミは無しで。(^^;))反省に基づき、今回からは平易な紙芝居形式にしてみました。

 

もりのこ母ちゃんが二人、聞きに来てくれて、納得納得!の講座だったようです。

感想がもらえたら、またこちらで紹介しますね。

 

絵心の無い私に代わって、難しいところは、お友達のさとうみほちゃん(八王子おんぶ育児の会主宰)が描いてくれました。かわいい!!(^-^)ありがたや。

これを見ただけで、何を説明したいのかが分かる人には必要のない講座ですが、「えええ?子育てが楽になる講座なんでしょう?それと、平均台とジェットコースターが何の関係があるの?」と思う人は、ぜひ聞きに来てください。

 

続きを読む 0 コメント

2016年

2月

18日

卵の時から

このお話は、友達から教えてもらったものです。

続きを読む 0 コメント

2016年

2月

06日

子どもを守りたいなら、母ちゃんを守ろうよ

昨日の夜、麻溝公民館で、「コトモノミカタ」というイベントがありまして、私は行きたかったけど、行けなくて、参加者の投稿記事を見ていたら、すごーくいいことを書いてらっしゃる方がいました。


続きを読む 0 コメント

2016年

2月

02日

谷戸紀行2016.2.2

今日は本当にあったかいですねー。
予報は、最高気温10度だったけれど、正午ぴったりのかわらけ谷戸は、もっとあったかく感じます。

今日も今日とて、ワークマンカッパとユニクロ暖パンの、ぢーこでございます。あーぬくい。

火曜日。ちびっこ谷戸歩きの日。
もりのこちゃんたちは、風邪やインフルエンザに倒れている子も多く、今日の参加は、「のんびり行きますねー」と連絡をくれた、二組の親子。

ならば!
みんなが来る前に、奥の谷戸の探検をしよう!と思い立ち、ぐるりと歩いてきました。 

今は、いつもの谷戸で、寝転がってこれを書いています。
続きを読む 0 コメント

2016年

1月

31日

雪が積もってるときはどんな格好で遊ぶのがよいのでしょうか

ここんところ、極寒の地相原では、全く雪が解ける気配が無く、二週間ばかりひたすら雪と氷で遊んでおります。

「雪が残ってるところとぐしゃぐしゃのところが入り混じってるのに、ぢーこはどんな格好で谷戸で遊んでるの?」

 

なんてことも良く聞かれます。

私の中では、ここ数年、割と「これだ」というのが経験的にわかって定着してきていますし、外遊びのプロフェッショナルの皆さんも、いろいろおすすめグッズを紹介してくれています。

これはもしかして、外で遊びたい母ちゃんには喜ばれるんじゃないかと思ったので、今日は冬の外遊び対策としては、これがいいよ、というの紹介していこうと思います。

 

続きを読む 0 コメント

2016年

1月

23日

お話会「原発事故避難の現実と終わりのない避難生活」に参加して

今日は、こちらのお話会に参加してきました。

 

「え?いまさら原発の話?」

「だってもう、首都圏は安全なんでしょう?」

そう思っている人にこそ、読んでいただけたらと思います。

 

お話会では、帰還困難区域に指定されている浪江町にご自宅を持つ柴田さんが、3.11から今までに起きたこと、現在の思いなどを語ってくださいました。

 

何度も柴田さんが「これは、他人事じゃないんです。明日、大地震が起きて、静岡の浜岡原発で事故が起きれば、私の体験は、あなたたちの体験になります。」とおっしゃっていて、

 

今回柴田さんが遠く福島からわざわざお話に来てくださったのは、柴田さんの今を不憫に思い、何とかしてあげて!と訴えてほしいなんていうことではなく、原発のこと、それに付随する問題を一人一人がきちんと、自分のこととして考えてほしいということなんだなと、痛いほどわかりました。

 

そこで、複雑になってしまった原発の問題について、わたしなりに整理したいと思うので、まとめます。

 

たけとんぼでやってることとは一見関係なさそうですが、子どもたちの未来について、どう考えるのか、何を大事にするべきなのか、ということ、母ちゃんたちにも考えてみてほしいと思うので、一緒に考えてみてください。

 

【参考:浜岡原発の今とこれから】

続きを読む 0 コメント

2016年

1月

16日

「話し合って」>「決める」

今日もまた、知ってる人は、きっと知ってる話をします。^_^

私だけが知らなかったのかもしれない話です。

いやー、もういい歳したおばちゃんなのに、なんでこう、物知らずなのかと、よく思います。f^_^;)


数日前に、フェイスブックのタイムラインに二つの記事が流れてきました。

一つはこれ。公園での子ども同士のおもちゃの貸し借りについて、NHKの「すくすく子育て」に出演された井桁容子先生が、語られたという内容を起こした記事。

 

これを読んだのは、朝、出かける前で、これは歓迎すべきことよね、と思いつつも、なんだか割り切れない気持ちでした。

 

もう一つはこれ。ほぼ日刊イトイ新聞で連載している、糸井さんと養老猛先生の対談

 

全く関係なさそうな話なのに、谷戸保育の振り返りで、ちょっと違和感を感じて帰ってきたときに

 

この記事を見つけた私は、ああ、これかあ、私に足りないのってここだったんだなと思ったのです。

 

今日はその話を。

 

題して「話し合って」>「決める」。

 

今日も長いです、ごめんなさい。

 

***

続きを読む 0 コメント

2016年

1月

08日

発達障害児の支援を考えてわかったこと

今日のお話は長いです。

 

元々、子どもの遊び場に関わっていた私が、なぜ、

たけとんぼで「発達障害児の支援」にこだわった活動を始めたのか、その顛末と

その活動でわかったことを書きたいと思ったのです。

 

支援の在り方って、つまりは子育ての在り方と全く変わらないんだよ、

って気づくまでのお話です。

 

 

続きを読む 0 コメント

2016年

1月

07日

上の子を可愛がりたい・仲良くしたい

そのお母さんは言いました。

 

「毎日毎日、上の子を怒鳴ってしまう。

 

片付けてもすぐに散らかす、急いでいるときに限ってぐずぐずしている。

私を困らせようとしているとしか思えない。

 

あれやりたい、これやりたいと、要求されるのも嫌なんだけど

その要求されたことをかなえるために、今こうして、お前のために

私はやりかけの家事を放って準備してやっているのに、

早くやりたい、ねえ、まだ?まだ?と、横でうるさく騒がれる。

 

やりたくて、うれしくて、テンションが上がっているのはわかる。

子どもの無邪気さなんだろうと頭では理解している。

 

でも

気が付くと、すごい形相で、大声でうるさい!と怒鳴ってる。

 

子どもはその時だけおびえたように私を見ているけれど

すぐに忘れて散らかしたり、要求を始めたり。

私はその横でイライラ、イライラ。

 

怒鳴りたくないのに、優しくしたいのに、一緒に楽しく遊びたいのに

最初は一生懸命、優しくしてるのに

すぐに私の努力は私の怒鳴り声で台無しになる。

 

この子はきっと、私に怒鳴られた過去を忘れない。

この子はきっと、私を怖がっている。

この子はきっと、私を憎むだろう。

 

私はなかよくしたいのに、愛したいのに。」

 

激高して、泣きながら、言うのでした。

 

続きを読む 0 コメント

2015年

11月

13日

望まない「助け」を届けようとすることの罪 真の優しさについて

これは、もしかして、私以外の人は、みんな知ってるかもしれない事なんだけど、

私は最近、友達に気付かせてもらって、いろんなことが一つにつながって

とても腑に落ちたことなので、書いておこうと思います。


わかってる人には、

「いまさら何言ってるのー?」

な内容なんでしょうけど、私には世紀の大発見だったので。

続きを読む 0 コメント

2015年

11月

08日

何ができなくたって、母ちゃんは母ちゃんだ!という話

赤ちゃんが生まれたら、こんなことしてあげたい、あんなふうに育てたいと夢を持って出産に臨み、いざ生まれたら、あまりに理想と現実がかけ離れていた、なんて話は、すべての母ちゃんに共通の「あるある」だと思います。


一日24時間拘束され、睡眠時間も食事時間も自分の都合でとることができず、子どもは容赦なく要求だけを突き付け(という風に感じる、という意味ね)、それに応えられない自分を責めて、子どもに怒鳴りちらし、母はひたすら自己肯定感を下げていく。


日本の育児の現状って、こんな感じじゃないかと思います。


親子を取り巻く環境が、「母性神話」を押し付けてくることが最大の問題だと思っていましたが、先日、ある母ちゃんと谷戸で話していて、そこだけじゃないんだな、と気づいたので書いてみます。


続きを読む 0 コメント

2015年

10月

19日

ごめんなさいを育てる

*このお話は、やっと言葉を使い始めた2歳くらいのチビさんを念頭に置いて書いております。



SSTという言葉をご存知でしょうか?
療育の中の一つに、ソーシャルスキルトレーニングというのがありまして、
対人関係を作るのが苦手な自閉っ子ちゃん達に、
「こんな場面では、どう振る舞うのがいいのか」
「こんな時には、どう言えばいいのか」
をロールプレイなどで教えることを指すのですが、その頭文字を取ってSSTと略されます。

簡単なところでは、朝会ったら「おはよう」、帰りは「さようなら」。
相手が嫌がることをしてしまったら「ごめんなさい」、などなど。



チビさんたちと谷戸を歩いていると、時々、相原の地元の方々や、
ハイキングのおじいちゃん、おばあちゃんにお会いすることがあります。

私が
「おはようございます」
と挨拶をすると、おしゃまな女の子などは、真似をして
「おはようございます」
と元気に言います。
その時
「えらいね!元気に挨拶できたねー!」
と声をかけると、周りの子達も、褒められようと我先に
「おはようございます!」
の嵐になり、先方が困惑する、というよーなこともままあります(笑)。

それを二、三回繰り返すと、私が何も言わなくても、私がいない時でも、進んで挨拶する子になります。

元気に挨拶するチビさんたちは、それはそれはかわいいので、
された側も、ニコニコと「えらいわねえー」と褒めまくってくれ、
それが強化子になって、さらに強くインプットされるわけですね。

(別に挨拶する子を育てたいわけではないので、
挨拶しない子がいても、特に何も言わないし、
言いたくないのに言わせるのは、絶対間違ってると思うのでやりませんが。)



定型発達の子どもたちは、こんなふうに
社会で気持ちよく過ごすためのスキルを、ことさら取り上げて訓練しなくても
身についてしまうわけです。

でも、周りの雰囲気から察したり、そもそも真似したりということが、
あまり得意でない自閉っ子ちゃんの中には、
場面に応じた言葉が出てこないで、固まってしまったり、
無視してるように見えたり、パニックになったりしてしまうことがあるので、
それを補うためにSSTが必要だとされてきました。

ところが昨今、このSSTについて
「感情が育ってないのに形だけ教えても仕方ないのでは?」
というような反省があり、
「まずは、感情を育てましょう!」
という流れになってきています。

つまり、「ごめんなさい」を言わせる前に、
「悪いことをした、すまない」という気持ちを育てるのが先だよね、
ってことです。

(あたりまえな話なんだけど、それくらい
「自閉症の子達は、自分の気持ちすらわかってないものだ」
と思われてきたってことなんでしょう)



それでですね。

何が言いたいかというと、メインはここからなんですけど。

同じことを、母ちゃんは、我が子にしてないだろうか?
(もっと正確に言うなら、させられてはいないだろうか?)と思うんです。

特に、やんちゃな男の子の母ちゃんは、
人を見たら条件反射で頭をさげるくらい毎日謝りどおしで、
見ているこちらが切なくなるくらいなんだけど、

もっと切ないのは、訳がわかってない我が子に
「謝りなさい」と言わなきゃいけないことだろうなーと思うんです。

だって、おもちゃを取り上げて、相手の子が泣いてても、
取り上げた本人は、「やったー!」と嬉しそうなんだもん。

絶対、「悪かった」なんて思ってない。

「手に入ったぜ〜!バンザーイ!」としか思ってないのに、
「すまない、わるかったよ」を表す「ごめんなさい」を無理やり言わせてたら、
言葉と気持ちはどんどん乖離しますよね。

大事なのは、記号としての「ごめんなさい」を言わせることではなく、
「対人関係で生まれる複雑な感情体験をさせる」ことではないのかなあ、と思うんですよ。

なんで「ごめんなさい」が必要かって言ったら、
それは、自分のためなんです。

「うわー、ぼくがおもちゃ取ったから、大好きな●●ちゃんが泣いちゃった。
一緒に遊びたいのに、泣いて怒ってる。
どうしよう。
ぼくも気持ちがだんだん悲しくなってきたぞー。うわーん」

というような、心の葛藤を
「ごめんなさい」「いいよ」がすっきりさせてくれるから言うんですよね?

え?ちがう?

「相手に悪いことをしたのだから、相手を尊重して謝意を表すのが先でしょう?
傷つけてしまった、そのことに対して、ごめんなさい、でしょう?
自分がすっきりするため、って変じゃない?」

変じゃありませんよ。それは大人の理屈です。

だって、元々の原因は、モノの取り合いでしょう?
相手の子も、この子も、同じものが欲しかった。
別にそれは、悪いことではないですよね。
素直な感情です。
まだまだ幼くて、自分の感情がセーブできなかった。
順番の概念が育ってなくて、待てなかった。
どれも、別に悪いことではありません。
できないことなんか、ゴマンとあって当然です。
まだ、生まれて二、三年しかたってないんだもの。

だから、「悪いことをした」から「ごめんなさい」じゃあないんです。

「ごめんなさい」を言うと、
「すっきりして気持ちがいい」「また一緒に遊べる」
という自分の得になるんです。

最初は、そこを教えてあげないと、
言葉を使いたい気持ちなんて育たないんじゃないかなあ?

「どうしよう、やっちまったー」という、すっきりできない気持ちを
味わわせることが大事なんだと思うんですね。

(逆にこの気持ちを感じていることがわかれば、
無理にごめんなさいを言わせなくてもいいと思います。
嫌な気持ちを引きずって過ごすことだって、大事な体験でしょうからね。
それこそ、ごめんなさいを言った時のカタルシスもでかくて、
「ああ、言ってよかった!」と思えることでしょう。)

周りの子どもが、その子にとって大事なかけがえのない仲間になったら、
きっと、泣いてる子を見て「やったー!おもちゃゲットー!」とは思わないし、

そこまで育ってない子に、無理やりごめんなさいを言わせても、
意味なんかないんじゃないでしょうか?

それに、たいていの子どもにとっては、言い聞かせるより、
体験する方がはるかに身につくことが多いので、
本当は、大人が止めないで、徹底的にどうなるかを見守ってみることも、
きっと大事なんだろうなと思います。

黙ってみてたら、
泣いてる子に味方する子が現れて、
取られたおもちゃを取り返してくれるかもしれないし、
(そしたら、自分も「取られる」という悲しい体験をできるよね)
「あいつは意地悪だから遊ぶのやめよう」とみんなが思って
仲間はずれにされるかもしれない。

大人が「そんなことしたら遊んでもらえなくなっちゃうよ」と諭すより、
ずーっとリアルにいろんな感情を経験できると思いませんか?

昔は、今より大人が忙しくて、大人が見ていない子どもだけの社会があったから、
きっと、小さな頃から、いろんな葛藤を体験して大きくなったんだろうなーと思うんです。

子どもの方が、大人よりどストレートだからね。
嫌なことをすれば、嫌なことをやり返されただろうし、群れの中には、仲裁役もいただろうし。
子どもにわかるルールをきちんと提示する役割を持つ子もいたんだと思うんです。
そんな中で社会性を育んで、園なり学校なりに進んでいけたのでしょう。




話は変わるようですが。

今ね、小学校の1クラスには、二、三人の発達障害グレーゾーンの子どもがいるんだそうです。

昔も、今も、生まれてくる子どもが、障害を持つ確率なんて、
そんなに変わるものではないと思うので、じゃあ、何が変わったかと言うと、ここなんです。

幼児期の子どもの群れの崩壊。

圧倒的な、感情体験の乏しさ。
コミュニケーションを体当たりで練習する場所の少なさ。

おそらく関係してると思います。

大人が危ないからといろいろ取り上げた弊害が、こんなところにも!って感じですよね。

できるだけ返していきたいなあと、思っています。
子どもたちのためにも、かあちゃんのためにも。
続きを読む 0 コメント

2015年

9月

30日

もりのこであそぼう♪

みなさん、もりのこを知っていますか?

たけとんぼの母胎であるもりのこのことは、時々このブログでも書いてますが、そのもりのこが、相模原市のコミュニティ保育をとりました。

コミュニティ保育は、「良い活動をしているね」というお墨付きと、活動予算を市からいただけるということで、昨年もトライしていたのですが、見事玉砕しておりまして、今年は二度目の挑戦でした。

なので、もりのこ母ちゃんたちの喜びもひとしおだと思います。
続きを読む

2015年

9月

06日

子育「ち」支援

たけとんぼの看板には
「子育ち支援基地」と書いてあります。

時々
「子育て支援の間違いじゃないの?」
と聞かれることがあるんだけど、
そーではなく、あくまで「子育ち」を支援したいのであります。^_^

その意味するところ、目指すところを、ちょっと書いてみようかなと思います。

「支援」という感じは「支(ささ)える」と「援(たす)ける」という字でできてます。

どちらも、サポートすることですね。

では、サポートするってどういうことなんだろう?

それは、「本人が目指す方向へ向かう意思」を尊重し支えることだと思います。

例えば、自転車に乗れるようになりたい子がいるとする。

その子がやりたい気持ちを叶えるために、後ろから自転車を支えてあげるのは、サポートですよね。

では、やりたくない子どもに「乗れるようにしてやりたい」と特訓を施すことは、サポート??

結果として、子どもが自転車に乗れるようになったとしても。
それを、子どもが喜んだとしても。

私は、それは「支援」ではないと思うのです。

特に欲しいとも思ってなかったおもちゃを誰かにプレゼントされたら、そりゃ、嬉しくないわけではない。
いらないわけじゃないから、ありがとう、とも思う。

でも、ずーっと欲しくて、手に入ったら、あんな風に遊ぼう、こうやって遊ぼうと夢想していたおもちゃとは違うんじゃないかな、というのは想像できますよね。

それと、自転車の話も同じかな、って。

「望む」→「叶う」
というのが、喜びを得る真っ当な回路だとすると、
「叶う」
だけを延々与えられる環境は、どうなんだろ?と思ってしまう。

親は子どもにいろんな経験を与えたい、とか、早くできるようになって欲しい、とか、つい思っちゃうけど、

そこで子どもの気持ちはちゃんと聞いてるのかな?

一番尊重しなくてはいけないのは、本人の気持ち。意思。

それをすっ飛ばして、周りが「無理に押したりひっぱったりする」のは、支援とは呼ばないとおもうんです。

と考えるとね。

現代の母ちゃんは、何をするにも世間様のチクチクビームにさらされて疲弊し、やりたくないことでも、子どものためと思わされ、続けているうちに、何が自分の望むことなのかすらわからなくなっちゃってることもある。

なら、まだ周りを気にしないで自分のやりたいことに忠実な子どもを支援することの方が簡単じゃん?

それに、子どものやりたいことをサポートするのって、「奴隷のように親の言うことだけに従順に従う子どもを育てたい」と思ってる親以外には、十分、子育て支援でもあるんじゃない?

窮屈な子育て環境をぶち壊したいと思うなら、子どもの閉塞感に寄り添う方が正しそうではない?

と思ったのでした。

そんな気持ちがあるので、私は、ちびっ子は、はちゃめちゃな方が好きです。

やりたい思いを尊重されて大きくなってきた感じがしてホッコリするし、見てても予想がつかなくて面白い。

何より、自分のやりたいことがわからない子どもから、やりたい気持ちを引っ張り出すのは難しいけど、

やりたい子どもに周りとの兼ね合いやら協調やらといった「自制」を覚えてもらうのは、前者に比べたら全然簡単なんだもの。

(あくまで正しく尊重された「はちゃめちゃ」の場合ですけどね。放任や抑圧のために荒れている「はちゃめちゃ」とは、全然違う。)

たけとんぼは、子育ち支援の場。

私も、子育ち支援の立場。
だから、はちゃめちゃにはとことん付き合おうと思ってます。

2015年

8月

16日

幼稚園選びについて思うこと

子育てに正解はないというけれど、


結論から言っちゃうと、

正解はないけど、間違いはある!

と思ってます。


その「間違い」さえおかさなければ、あとは、各ご家庭の趣味でやっちゃってかまわないんだと思ってます。

(ってのは、ひじょーに「軽い言い方」で、子育てナメてんのか、ゴルァ、とか言われそうですが、

実際、自分が育てられた環境を振り返っても、親の好き嫌いが色濃く反映されていたのは、よくわかると思います。)



じゃあ、そのまちがいってなんだろう??


今は亡き漫画家の三原順先生の作品に、「夢の中悪夢の中」というのがあります。


「はみだしっ子」連載当時から、親子関係のドロドロを描いていて、

お花畑の恋愛ストーリーばかりの少女マンガ界に於いて、すごいリアルな作品を描く人だと思っていたのですが、

「夢の中悪夢の中」は、母の愛と子どもの気持ちが決定的にすれ違ってしまうことによる不幸を見事に描き出していて、

このテーマの作品の中では、一二を争う完成度ではないかと思ってます。


ざっくりあらすじを書くと(うろ覚えですが)。


ある家庭には、四人の子どもがおりました。


上三人は、スポーツ大好き、仲間と汗を流して動いていれば幸せな、筋肉兄ちゃんたち。

一番下の女の子は、対照的に一人で本を読んだり、空想の世界に遊ぶのが好きな物静かな女の子。

母ちゃんは、肝っ玉母ちゃんで、

「子どもは、よく遊びよく食べよく眠れば、それでいい。(そうでない子のことは、わからない)」

と思っていて、その愛情表現も、運動部の兄たちがお腹いっぱい食べられるようにと、山盛りの食材が溢れる賑やかすぎる食卓がメイン。


女の子は、彼女の望む愛情は、そういうものではないと話してみるのですが、

家族中が「スポーツこそが、真っ当な人間をつくる!」というような価値観に染まっているので、

どれだけ説明しても理解してもらえません。


そしてまた、それが母の愛情であることを理解しているため、できるだけ平和に、その愛に答えようとします。

たとえば、

「学校のソフトボールクラブに入ったから、練習でお腹が空くの。お弁当を増やして!」

と母ちゃんに頼み、本当のソフトボール部の友人に練習着を貸し出して、

わざわざ泥んこに汚してもらい、作ってもらったお弁当は、残った分をこっそり捨てるのです。


そうして、彼女は平和に図書館で自分の世界に浸るのですが、

ある日兄に見つかり、その平和が取り上げられます。


兄は、心から母を愛しているので、

「お前の嘘がお母さんをどれだけ悲しませるか俺は知っている。

だから、お母さんには言わないが、その腐った根性を叩き直してやる!」

と、彼女を運動部に無理やり入れて、ガンガン鍛えるのです。


スポーツができないから嫌いなわけではなく、

ある程度こなせてしまうので、彼女はレギュラーになり、

家族もそれを喜びますが、

彼女の気持ちは、どんどん母親や家族から離れていきます。


そして、彼女の苦難は続き、結婚して独立するまで逃げられないのですが、

結婚でつかの間得た幸せを、覆すラストのどんでん返しには、ため息しか出ませんでした。


この話から、何が見えてくるでしょう?


子どものためと思い込み、

自分の価値観だけに沿った愛情を押し付けることが、

幸せな親子関係にヒビを入れることになる、というのがとってもよくわかると思います。


子育てに正解はない。

けれど、まちがいはある。


まちがいとは、子どもの気持ちを理解しようとせず、

自分の価値観だけを押し付けることです。


これから幼稚園を選ぶお母さん。

「こうなってほしい子ども像」はあると思います。


でも、その理想と、あなたの子どもは、進みたい方向が一致しているだろうか?

「伸びていきたい」と命が望む方向に、その子を伸ばしてやっているだろうか?


ただでさえ、お母さんと離れて不安の中過ごす園生活に、

その子が心を解放して思い切り楽しめるシーンはあるんだろうか?


子どもにより添って、園を選んでほしいと思います。


続きを読む

2015年

8月

15日

早期療育について思うこと

つい最近、早期療育ってやっぱり大事だなって思う出来事がありました。

それで、そのことを書いておこうと思います。


というのも、この一年くらい、参加させていただいた講演会やセミナーは、「早期療育否定」を訴えるものが多くて、うーん。。。ともやもやしていたのです。


でも、早期療育は、おそらく全否定されるようなことではないぞ、ちゃんと役に立つこともあるぞ、と思ったので、その顛末を記録しておこうと思います。


その前に、私の立ち位置を明確にしておかないと誤解のもとなので、どういう立場にいるのかを書いておきます。


①療育の専門家でもなんでもありません。

②発達障害の子どもを育てているわけでもありません。

③発達障害の子どもたちに日常的に多く接しているわけでもありません。

④外遊び推進の活動をする中で、自由な遊びが、発達障害の子どもたちに与える感覚刺激の役に立っていることを知り、その話を時々しています。

⑤全く発達障害について知らない人よりは、その特性や対応を少しは知っているおばちゃんです。

⑥普段会うのが、未就園の子どもたち(ゼロ歳から三歳くらい)なので、その中で、子どもの育ちについて相談されることもあり、その子たちのことを理解したくて勉強しています。

⑦逆に、その子たち以外のことは全く知らないと言っても過言ではありません。たとえば重度の知的障害を伴っていたり、自閉傾向が強い子には、会ったことが無いので、その支援方法についてなどは、全くわかっていません。

⑧まとめると、未就園のグレーゾーンかな、っていう小っちゃい子のことなら、少しわかるかもしれない、っていう程度です。


さて、そんな私が、早期療育ってやっぱり大事、と思ったお話です。

これをお読みになるお母さんは、自分のお子さんの状態と照らし合わせて、ご自分で判断してくださるといいな、と思います。


********


私がちょっとだけ関わっている、「青空外遊びの会もりのこ」。


ここには、主に未就園のちびさんが、お母さんと一緒に遊びに来ます。


好きな時に来て、大きな鍋で、みんなでお昼ご飯を作って食べて、自由に遊んで好きな時に帰る。


とってもゆるゆるで自由な活動です。


ここに、当時二歳の男の子がいました。

元気者でやんちゃでよく笑うかわいい子です。


この子が、ある時期から突然、小っちゃい子を後ろから押し倒すようになりました。

自分より小さな、まだヨチヨチ歩きの赤ちゃんを、何も言わずに、いきなり後ろから押し倒すのです。


お母さんが一生懸命言い聞かせても、伝わらない。

周りの大人が、怖い顔をして怒っても、伝わらない。


みんなで話し合って、どういうふうに対応したらいいのかな、って知恵を出し合ってみましたが、うまくいかなくて、お母さんは、とっても悩んでいました。


このままじゃ、いつか小さい子に怪我をさせてしまう。

怖くて、一緒に遊ばせられない。


言い聞かせても伝わらないっていうのは、

①耳からの情報がうまく脳にまで入っていってなかったってことなのか、

②単に、言われる言葉の意味が分からなかったのか、

今となってはよくわかりませんが、とにかく、その子も「なぜ怒られるのか」がわからなくて、混乱していたんだと思います。


お互いに「なんで伝わららないんだろう」「なんで怒られるんだろう」がわからず、いらいらと向き合っていた時期でした。


「耳からの情報がうまく伝わらない」としたら、それは発達の問題を疑ってもいいのだと思いますが、なにしろ、この時点で二歳(もうすぐ三歳)だったので、判断がつけられません。


感覚統合のお話の中で、説明させていただいていますが、乳幼児期というのは、感覚の発達も一様ではなく個体差がとても大きいので、定型発達の子でも、ある一時期、発達に問題を抱える子どもたちと似たような状態像を表すことがあるのです。(定型発達の子どもなら、そのうち問題は消えていくか、薄まっていく。)


周りが困っている中、お母さんは、自分で支援センターに相談に行き、自分で療育を受けることを決めてきました。


「この子が、もし発達障害ならば、早期に療育につながるのは、いいことだと思うし、違ったら違ったで、勘違いだったねで済む話ですから」


とお母さんは言いました。


「障害児」というレッテル貼りが嫌で、困っているのにだれにも頼らないでいたり、親族の猛反対で、相談にすら行かせてもらえず孤立を深めてしまうお母さんもいる中で、自分から動いて、自分で決めてきたのでした。


**********


そうして、約一年が過ぎて、つい先日、親子でたけとんぼに遊びに来てくれたのです。


相変わらず、やんちゃでよく笑うかわいい子でしたが、お母さんのお話をちゃんと聞いて、その場にいた自分より小っちゃい子たちとも仲良く遊べていました。


何より、お母さんが大好きで、お母さんもその子が大好きで、二人で目が合うとニコニコ嬉しそうだったのが、とっても印象的でした。


伝わらないことで、お互いイライラして、目が三角にとんがっていた時期からすると、ウソみたいに平和で穏やかな時間でした。


「あの時、相談に行って、療育を受けることにして、良かったと思います。この四月からは、もう必要ないねって言われて、卒業したんですが、幼稚園でもトラブルなく過ごせています。」


とお母さんは言っていました。(^-^)


***********


療育、っていうと、何か特別なことをしているように思うのでしょうが、実際行ってみると、「え?こんな簡単なことしてるの?」とびっくりすることがあります。


その「簡単なこと」がなかなか伝わらないから、「その子にわかる形で教えてあげる」のが療育なのです。


耳からの指示が入りにくければ、目で見てわかるように。

どちらもわかりにくければ、体でやってみてわかるように。


その子の特性を踏まえて、どうすれば一番わかりやすいのかを探りながら、その方法を使って教えてあげることを、療育というのです。(すごく大雑把な説明ですみません、本当はほかにもいろいろあるんですけどね)


そして、療育は、こどもに「わかりやすい方法で教える」のと同時に、そのお母さんにも「わかりやすい方法で教えるにはどうしたらいいか」を教えてくれます。


そこが一番いいところです。(逆にいうと、それを怠る療育は、片手落ちです。お母さんに知識を与えないで、自分たちだけで子どもを囲い込んでいるのは、明らかに間違いです。)


だって、一日中、365日一緒に過ごすのはお母さんなのに、お母さんの「教えてくれること」がわかりにくかったら、その子は、周りのルールがわからないままになってしまいますもんね。


お母さんは、こどもが小っちゃいうちは「世界の案内役」なのです。

この世界で生きていくには、こんなルールがあるんだよ、これを守ると楽しく生きていけるよ。

それを伝えるのがお母さんの役目です。


定型発達のお子さんは、周りの様子を見ながら、自分で「こうかな?」と自分の行動を変えていけますが、それができない子どもたちもいるんです。


その子たちに、丁寧に「わかる方法で」教えてあげることを「療育」といい、お金をもらってそれをやっているのがプロの療育者なんですね。


今、悩んでいるお母さんは、ちょっと勇気を出して、療育の門をたたいてみるといいんじゃないかと思います。


そして、最後は、手前味噌になっちゃいますが、私が「この人は信頼できる」と思った療育のプロ、美和先生の講座を二つ、ご案内しておきます。


どうぞ、たけとんぼで学んでみてください。

続きを読む 0 コメント

2015年

8月

13日

母ちゃんの一歩が、未来の子どもを救うことがあるかもしれない話

私には、二人の子どもがおりまして、上の子はしっかり者の長女気質、優しいお姉ちゃんで、もう大学を卒業して就職しています。

下の子は高校一年生の男の子で、私から見ると、かなりの不思議くん。

上の子をゆま、下の子をくり、といいます。


今日は、ちょっと、うちの子の話を。



くりは、昔から、ほんとに自分の考えや気持ちを、言わない人でした。


喜怒哀楽については「嬉しそう、楽しそう、悲しそう、怒ってそう」は見ればわかるんだけど、それを言葉で表現するとか、記憶にとどめておいて人に伝えるとか、そういうことをしない子でした。

終わったことはどうでもいいと思っていたのか、見りゃわかるだろ、と思っていたのか(^^;


お姉ちゃんのゆまは、学校であった事、友達とのやり取り、その時どう感じたか、どう思ったか、割と話す子だったので、話さないくりがちょっと心配でした。


コミュニケーションの基本は、気持ちのやりとり、想いのキャッチボールだと思うので、くりの口から「学校で、こんな出来事があって、自分は、こう思った」という話を聞いてみたかったのですが、小学校六年間、一度も聞いたことがありませんでした。


普段から、まあ寡黙な人ではあったのですが、たまに何かを熱心に話してるとすると、中身は、その時、興味のある漫画のこと、小説のこと、アニメのこと、お笑いネタのことだったりしました。

それを見て「どう思った、どこがすごい、どこがダメ」という感想でもなく、延々、そのあらすじや細かい描写を語っていたり、ネタを一本まるまる再現してくれたり、そんな感じで、人に伝えるのは「だれがいつどこでなにをどうした」という客観的事実だけで、それに付随した、自分の感情とか、考えが全く出てきませんでした。


今思うと、語る言葉と、語る気持ちを貯めてたのかなーと思います。

こんな時、人はどう言うのか、この気持ちをなんと名づけるのか。


それが、中2くらいからかな、思春期に入り、なぜか内面を語る言葉が増え始めたのでした。


ゆまが大学の二年次進級とともに一人暮らしを始め、静かになった家が耐えられなくなったのかな?とも思うんだけど、本当のところはよくわかりません。


とにかく、あったことだけでなく、それについての感想というのが出てくるようになりました。


最初は、面白かったこと。

それから、ネガティヴな気持ち。

将来についての漠然とした不安やら、勉強したくない気持ちやら、友達関係の嬉しかったこと、がっかりしたこと、学校のイベントというのは、なんでこんなにつまらんのか、などなど。


毎日、よく、しゃべります。


普通の男の子は、思春期に入ると親と話さなくなる、親にむかついて部屋から出てこなくなる、と言いますが、うちは全くその気配もなかったし、今もありません。


私も相手がいると面白いので、自分だったら、こう考えるとか、私も高校生の頃、こんなことがあって、とか話します。

すると、くりもそれを受けて、その考え方は変だとか、そーだよなーとか、返ってくるわけです。


話し相手としての男の子はつまらんなーと、ずっと思ってたけど、なかなかどーして、ゆまより非常識な分、面白いんですね、これが。


そのくりが、先日、いじめ問題について語っていました。

といっても、別に自分がいじめられたとか、そんな話ではなくて。

もし、自分がイジメのターゲットになったとしたら、って話です。


くりは言うのです。


「学校だけに縛られるから、逃げるところがなくて、

どーしても、そこに居ないと生きていけない気がして、

嫌なことも我慢してみんなに合わせようとするんだろうけど、

本当は、外にもいっぱい世界はあるのに。

くりがもし、学校でイジメにあったら、

まず、イジメてくるやつと、思い切りケンカする。

学校中の人が敵になっても、かまわないので、戦う。

自分が悪いことをしてないなら、悪いのは周りに決まってる。

だから戦う。

学校に一人も友達が居なくなっても、

外には、ヒロやリクシや師匠がいるって、わかってるから、

一人になっても平気だと思う。

それに気づけば、イジメで自殺なんかしなくて済むのに。」


ヒロ、リクシ、師匠というのは、くりがプレイパークで出会った友達です。

同い年、三つ下、十一歳上と、年齢も住んでいるところもまちまちです。

彼らとは、出会った時期もまちまちで、共通するのは、それぞれと、一時期、ものすごく濃い付き合いをしていて、しょっちゅう一緒に遊んでいた、ってところでしょうか。



くりが感じていることは、いろんな大人が言っていることです。


いじめで自殺する君へ、何年かすれば、君の世界は広がり、今の周りの関係は消え去り、明るい未来だけが君を待っているんだよ、今の君が世界に絶望していても、君がいる世界が絶望的なだけで、外には全く違う世界があるんだよ、って。


でも、渦中にいる人には届かない。

そもそも、外に世界があることを知らないから、そんな世界を信じられない。

自分が今いる地獄は、未来永劫続いて無くならないものだ、と思っている。


くりが、外の世界を信じることができるのは、とても恵まれているからでしょう。


学校の外にも自分が居ていい世界があることを知っている小中学生は、そんなに居ないと思います。


習い事に行っても、塾に行っても、学校で会う人しか居なかったら、その子の世界は、学校の人間関係だけでできてることになっちゃう。

子どもが、自分だけで世界を広げていくのは、今はとても難しい時代なんです。


何しろ、学区外に子どもだけで出てはいけないって、夏休みにもらってくるプリントにも書いてあるしね。(´Д` )


激しく人見知りなくりが、外の世界に友達を作れたのは、遊び人の母ちゃんがいて、

その遊び人の母ちゃんが、よその子引き連れてあちこちでかけて、

一日中遊んでても大丈夫なくらい稼いでくれる父ちゃんがいて、

それで初めてできたことなのです。

くりが、とってもとっても恵まれていたからなのです。


自分に与えられた環境を、当たり前だと思ってはいけません。

私が一人でくりとゆまを育ててたら、こんなに豊かな遊びに恵まれた暮らしはできなかったでしょう。

何が欠けても成立しなかった幸せです。

そこは謙虚に感謝すべきことでしょう。


くりが、もし、いじめられて孤立して、もう死んでしまいたいと思っている子に出会ったら、

くりが信じている外の世界の楽しさを「本当にあるんだよ」と伝えることと、

その子を外の世界に連れてくることを請け負ってほしいと思います。

それは、恵まれてきた人の義務だからです。

生きてる喜び、楽しさ、うれしさを、独り占めにしないでほしいと思います。


この話を踏まえて。


ここからは、母ちゃんたちに伝えたいこと。


今、楽しい子育ての仲間に繋がって、幸せな子育てをしている人は、

それを手放さないで、その仲間と育ちあって、子どもの世界を一つに限定したりせず、

みんなで大きくなる道を選んでほしいと思います。

大好きな友達が、あちこちに住んでいる。

それは、子どもにも大人にもうれしくて、楽しい事ですよね。


そして、今の幸せを、自分だけで終わらせないで、

後から来る子育て母ちゃん達にも分けてあげられる人になってほしいなと思います。


恵まれているのは、自分だけの力ではありません。

助けてくれてたいろんな人に、ありがとうって思うなら、

次の誰かに手を差し伸べて、引っ張り上げる人になってほしいと思うのです。


誰かがしてくれる「子育て支援」なんて待ってても仕方ないのです。

自分たちでやろう。自分たちでつながろう。


仲間がいなくて、不安でさびしく子育てしている母ちゃんは、銀河やたけとんぼにおいで。

もりのこの仲間になろう。

仲間を巻き込んで楽しいことしよう。


それが、たぶん、今の母ちゃんを助けるし、子どもの未来を助けることにもつながるんだと思うのです。

続きを読む 0 コメント

2015年

4月

17日

外遊びにこだわりたい理由

どもども、ぢーこです。
昨日は、未就園の二歳から三歳児を預かって谷戸で遊ぶ「谷戸保育」の日でした。
今年度二回目の谷戸保育。

そして、昨年一期生が巣立ち、晴れて二期目スタートの谷戸保育です。

晴れてても、雨でも、暑くても、寒くても、私は外遊びにこだわりたいと思ってきました。

自分の育児を振り返っても、こどもの一か月検診後から、毎日必ず外に出ていました。
病気で寝込んでいる日以外は、常に外に。
それにはいくつかの理由があるのですが、今日はちょっとそれを書いてみたいと思います。

続きを読む 2 コメント

2015年

2月

11日

満たす 満ちる

今日の谷戸で。
1歳のちびっこに混じって、2歳のお兄ちゃんが一人。

着いた時は、すごーく騒がしかった。
嬉しくてテンションが上がってるのではなくて

「僕を見て、僕を見て、僕を見て!!」

の騒がしさ。

「あれやって!これやって!」

をキーキー声で命令する。

聞けば、谷戸に来る直前に、画鋲のケースをひっくり返して、叱られてきたらしい。
下の子も主張を始めた時期で、かーちゃんはお疲れモード。

よしっ!と思って、私はできる限り彼のやりたいことを聞いてあげることにした。

1歳のちびっこは母ちゃんに任せて、ずーっとその子と遊んでいた。
ほめて、笑わせて、受け入れて、自分が嫌だと思うこと以外は、なんでも聞いてあげていた。

谷戸についても、まだキーキーはおさまらない。

そのうち、私が持っていった細引きロープで電車ごっこをやりたいと言い出した。

運転手である彼の行く方について、ふらふら歩き、谷戸の山道を一周するうちに、彼のセリフが変わってきた。

「こっちきて」
「あっちいこう」
「ここ持って」

が無くなり、

「次はあいはらー」
「がたんごとんがたんごとん………」
「ぷしゅー」

と、すっかり電車になりきっていた。

私は何も言わずにずーっと、同じ輪の中に入ったまま、彼と一緒に谷戸の山道を3周した。

3周してお母さんのところに戻ったその子は、とても静かになっていた。
満ちたんだなー、と思った。

見て見て!
聞いて聞いて!
あれやって!これやって!

母ちゃんたちは、聞いてあげたいと思ってる。

でも、物理的に不可能なこともある。
疲れ果てて、やりたくない日だってあるだろうし。

私は、子どもと母ちゃんに寄り添うって、そういう時に、子供の気持ちを満たしてあげることだと思ってる。
特に小さいうちは、誰でもいいから、周りの大人が満たしてあげたらいいんだと思ってる。
だって、母ちゃんにはできない時もあるんだもの。
私はそれを、よく知ってるつもり。
私もできない母ちゃんだったから。

-----

週に二回、この谷戸で子ども達と遊んでいる。

私のしていることは、それだけ。
ただ、遊んでいるだけ。

でも、ここで遊んで満たされた親子が、いつか子どもが大きくなって余裕ができたときに、

同じようにどこかの子どもに寄り添えるようになったのなら、

それはもしかして世界平和のタネを蒔いてる事なんじゃないか?って思ったりもしてる。

不特定多数の誰かの役に立てるほど、大きな何かはできないし、そんなこと目指してもいないのだけど、

目の前の誰かに寄り添うことが、世界を満たすことの始まりなんじゃないかと思っているのです。

続きを読む

2015年

1月

26日

小っちゃく生まれるという事

近年、医療の発達により、昔は助からなかった超未熟児の赤ちゃん(出生時体重1キロ未満)の生存率が、どんどん上がっています。

世間はそういうニュースを諸手を上げて歓迎するわりには、生まれてきたその子達のその後をあまり知らない。

小さく生まれるということは、どこかしらに機能の未発達を抱えてくるわけだし、脳に関しても、いろいろぱっと見にはわからない問題を抱えてくるわけです。

そういう子どもたちを、白い目で見る人と、超未熟児の生存を喜ぶ人が同じだったりするのが不思議で仕方ない。

超未熟児たちの、ほとんどは発達に問題を抱えています。

ほとんどの子たちが、自閉症スペクトラムのどこかにいる、ということです。

生まれてきてよかったね、生きることができてよかったね、と思うなら、その後の子どもたちも、同じように暖かく見て欲しい。

奇異な行動は、母ちゃんのしつけのせいではないし、空気が読めないのも、読む機能が育ってないのだから仕方ないのです。

白い目で見るのでなく、やり方を教えてあげて欲しい。

人間の社会で生きていくための暗黙のルールが、「暗黙」であるがゆえにわからないだけなのです。

続きを読む 0 コメント

2015年

1月

17日

育児を楽にするものって?

今日は、たけとんぼで感覚統合についての勉強会をします。
続きを読む

相模原市内にある常設のプレイパーク。

日曜、月曜、水曜が開園日です。

詳しくはリンクをクリック!

 

 

 

 

銀河の森プレイパークで活動する、ママと小っちゃい子のための青空外遊びの会「もりのこ」。就学前のお子さんであれば、どなたでもご参加いただけますよ。

発達障害を持つ中学生の親御さん対象のおしゃべり会です。
どんな人たちが、どんな気持ちで運営しているのか読んでみてください。

ご存じ、音楽療育家の西堀美和ちゃんが小田急相模原で開設しているゆっくりさんたちのための教室です。NPO法人てとて。

感覚統合について学びたい方へ向けた、出張講座を承っております。こどもに関わるお仕事をされている方、育児サークル、何でも五名以上で伺いますよ。